2026.4.25
私が2019年から追いかけてきた令和のビートルズが、終わってしまった。
観劇後帰宅して静寂が訪れたとき、ふと、ビートルズ以外の音を耳にしたくないという気持ちがあふれ出してしまった。
自分でもそんな状態になると思わなくて、正直かなり驚いた。
気持ちは少し落ち着きましたが、相変わらず興奮は冷めず……。
この状態のまま感想を書いていいのか。
いや、こんな状態だからこそ書いておくべきなのか。
着地点は定まっていないけれど、この熱量にまかせて、書き綴ろうと思います。
(FINALということで、ジョンをメインに追っております。でも皆大好きです。)
キャスト & あらすじ
キャスト
| スチュアート・サトクリフ | 戸塚祥太 |
| ジョン・レノン | 加藤和樹 |
| ジョージ・ハリスン | 辰巳雄大 |
| ポール・マッカートニー | JUON |
| ピート・ベスト | 上口耕平 |
| クラウス・フォアマン/リンゴ・スター | 林翔太 |
| アストリッド・キルヒヘア | 愛加あゆ |
あらすじ
1960年、イギリス・リヴァプール。
絵の才能を持つスチュアート・サトクリフ(戸塚祥太)は、同じ学校に通う親友ジョン・レノン(加藤和樹)に誘われ、ロックバンドにベーシストとして加入する。スチュアート、ジョン、ジョージ・ハリスン(辰巳雄大)、ポール・マッカートニー(JUON)、ピート・ベスト(上口耕平)ら5人の“ビートルズ”は、巡業で訪れたドイツ・ハンブルクの地で頭角を現してゆく。
とある夜、女性写真家のアストリッド・キルヒヘア(愛加あゆ)が、自身もアーティストでありミュージシャンであるクラウス・フォアマン(林翔太)に連れられインドラクラブにやってくる。スチュアートとアストリッドは互いに運命的な出会いを感じ、恋に落ちる。スチュアートは彼女との出会いをきっかけに再び絵を描き始め画家の道を志すが、ビートルズは魅力的なナンバーを次々に打ち出し、評判は日に日に高まってゆく―――。
舞台BACKBEAT 公式HP
瞬時に激しく燃え上がる恋のような
すごく不思議なのですが、再演の観劇時ほどジョンとスチュが「2人で1つ」という感覚にはならなかったんですよね。
どちらかというと、ジョンとポールの関係性・強固な基盤というものが軸にあって、最後は落ち着くべきところに「戻った」という感覚。
元々、スチュが加入する前から2人はバンド活動をしていたわけだから、間違ってはいないのだけれど。
演技的な絡みではないのですが、ライブ中のジョンとポールのハモりに一体感を感じていたし、目を奪われていた。
明らかにあの中でスチュが異質な存在として映っていたんですよね。
でもその「2人で1つ」感が消えたからこそ、余計に2人がお互いを意識していたり、執着していたり……人間的な感情が際立っているようにも見えた、かな。
「俺はアイツを引き留めておきたい」
「俺はもう絵だけじゃ満足できないんだ!アイツらと一緒に、どこまでも駆け上がっていきたい」
「ビートルズはジョンとポールのバンドよ」
「ポールは俺をビートルズから辞めさせたがってる。……そして、今はお前も」
きれい事ばかりじゃない。
自分の「こうしたい」を主張し続けたジョン、全て譲りたくなかったスチュ、スチュの背中を押したアストリッド、そして覚悟の別れ。
お互いの才能と、世界を獲るという未来に惹かれて瞬間的に燃え上がった恋のような。
ジョンとスチュをはっきりと違う人間だと認識して観劇できたからこそ、より楽しくて、より輝いていて……いずれ来るとわかっている別れがより苦しい。
そんなことを思ったFINAL公演でした。
5人で演奏する最後のライブ、過去に見たどの回よりも覚悟を決めたジョンの表情と、表情を隠してメンバーを見やるスチュの対比がヒリヒリしたな。
そしてその後の円陣。
あの円陣で、この5人のビートルズを見るのは本当に最後なんだと、急に寂しさがこみ上げてきたんですよね。
円は循環するもの。終わりがないもの。永遠。
きっとあの瞬間で5人は完成したんだろうと、そう思いました。
(今までも円陣でしたっけ……?肩を組み直していたような記憶なのですが、多分円陣だったのでしょう……)
形の違う芸術
今回特に刺さったシーンのひとつが、アストリッドが現像した自分たちの写真を見て、ジョンが拗ねちゃう(?)ところなんですよね。
今までは台詞の通り、「アストリッドの才能に嫉妬したんだよ」を真正面から受け止めていました。
でも、形が違う芸術への戸惑いなのかなって、私は今回強く感じてしまって。
BACKBEATには、確か3つの表現方法が出てきていたと思います。
もちろんメインは音楽、そしてスチュが迷った末に選んだ絵、クラウスやアストリッドが撮る写真。
余談ですが、私は皆様ご存じの通り舞台が好きです。
「何もないところから始まって、最後にも何も残らない」とは野村萬斎さんのお言葉ですが、まさにそこでしか生まれない熱量というものに、とても惹かれるのです。
何も残らないからこそ、少しでも記憶に留めておきたいと願う。
演者側になったことはないけれど、多分彼らも何も残らないからこそ、その一瞬を生きるのではないでしょうか。
この演目でいうと、それは音楽(ライブパフォーマンス)に該当するんですよね。
そして絵や写真は、同じ芸術でも真逆の性質を持っている。一瞬を切り取って、残す。
特に写真は、そこに有るものしか写さない。
だから、自分たちの熱量がたった一枚の紙に切り取られている、という事実にジョンは困惑したのではないかなと。
優劣ではなく、事実としてね。
色々言ってきたけれど、私は写真も好きです。もちろん映画や動画も。
そしてこの「ブログを書く」という行為も、あの一瞬を記録しているという点で、写真と似ているなあ、と思ったり。
Please Please Me / Love Me Tender
最後に、この2曲について語らせて欲しい。
多分2023年の観劇記録にも、一番好きなシーンはジョンとポールの「Please Please Me」と書いているかと思うのですが。(一応、貼っておきます↓)

今回はLove Me Tenderが、Please Please Meと対になっている感覚がして、いつも以上に大号泣してしまいました。
なんでかな~と帰りのバスの中でぐるぐると考えていたのですが。
Please Please Meはジョンとポールの2人のシーンで披露される曲。
試行錯誤中のポールが、ジョンのアイデアを参考にしながらブラッシュアップさせていく場面。
そしてここのやり取りで、ジョンはビートルズの未来のためにスチュを手放すという決断をするんですよね。
つまりPlease Please Meは、これからの未来に向かっていくための起点となっている曲なのかな、と。
対してLove Me Tenderが歌われたときの場面はというと、スチュがアストリッドに対しての気持ちを伝えているところ。
……というのもありますが、この曲の最初はスチュのボーカルとジョンのギター演奏のみ。
そして次に歌われるのはスチュの葬儀のシーンで、ジョンが暴れまくった末に、絞り出すように口ずさんだ曲。
ミュージカルで例えるなら、リプライズのような。
前だけ見て突っ走ってきた彼が、ふとこの曲を歌ったのにはどんな意味があったのだろう。
自分で手放す決断をした過去に対する、まだどこかで諦めきれていない執着心なのか。
振り返るのはこれで最後だと、改めて覚悟を決めるための過去への手向けなのか。
どちらにしても、ジョンとスチュの過去を象徴する曲のようになっているなと感じてしまって。
時間軸として、「過去に置いてきたもの」「今あるもの」「共に未来へ進むもの」が、最後にして一番苦しい形で線になってしまったな、という思いです。(大好きです)
その他の感想
・ジョンばかりに焦点を当ててしまったけど、5人とも凄く大好きです!
・3回目になって皆それぞれ年齢を重ねているはずなのに、留まることを知らないジョージの末っ子感
・オフマイク、あんまり拾えなくて悲しいけど、わちゃわちゃしているのを見られただけで幸せ
・最後、ピートだけリーゼントのままなんですよね……
・スチュが抜けたときに、クラウスがベースを申し出たけど断られたというエピソードがあるって、本当ですか?
だとしたら、最後ピートに替わってドラマーで入ったリンゴをクラウス役の人が演じるのは、熱い展開
・Love Me Tenderのときのクラウスの表情見たら、もう歌うの止めて!ってなる
・尾藤さん、本当かっこよすぎてですね……!!!
・今更だけど、この時期が冷戦真っ只中ということに気付いた。地図で確認したら、ハンブルクってほぼ東西ドイツの境界線付近でびっくりする
終わりに
この5人でのBACKBEATは、本当に終わってしまうのだなあ。
寂しい気持ちはたくさんあるけれども、最初から最後まで同じメンバーが集まってくださったこと、本当にありがたく思います。
そういえば、ポール・マッカートニーご本人のアルバムが近々発売されるというお話は本当なのでしょうか。
もし、ご本人が来日してくださるのであれば……恐らく相当激戦でしょうが、一度ライブに行ってみたいなあとは思います。(こんなミーハーで行っていいのか分からないですが)
そちらの情報を待ちつつ、令和のビートルズ、無事に大千秋楽まで走り抜けられるよう祈っています!
それでは。

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