こんにちは、macaronです。
今回は2026年3月14日に観劇した、ミュージカル「最後の事件」の感想です。
シリーズの主人公、シャーロック・ホームズとその相棒ワトソン……ではなく、作者、アーサー・コナン・ドイルの2人芝居です。
創作者は常に過去の自分との戦いになるので、成功すればするほど苦しみも大きくなっていく。
そんな痛みがひしひしと伝わってくる舞台です。
今回はドイル役を固定し、2人のホームズを観劇しました。
過去作の成功を乗り越えようとしたときに、作者が向き合ったものは一体何だったのか。
それぞれのホームズで感じ方もかなり変わってきましたので、その違いを軸に語っていきたいと思います。
ちなみに、固定したドイルは加藤和樹さん。
昼公演:渡辺大輔さんホームズ
夜公演:糸川耀士郎さんホームズ
での観劇でした。
それでは、次からネタバレありの感想となります。どうぞ!
キャスト& あらすじ
キャスト
| アーサー・コナン・ドイル | 加藤和樹 / 矢崎広 / 髙橋颯 |
| シャーロック・ホームズ | 渡辺大輔 / 太田基裕 / 糸川耀士郎 |
あらすじ
患者が訪れない病院の医師であり、読者に見放された作家、アーサー・コナン・ドイルは人生を変えるため探偵小説を書き始める。その小説の主人公の名はシャーロック・ホームズ。ホームズは完璧なプロファイリング能力を備え、探偵として必要な全てを兼ね備えた最高の探偵である。
作家と小説の中の登場人物でありながら、ドイルとホームズは最高のパートナーとなり、探偵短編小説を完成させていく。
小説内の様々な事件を華麗に解決していくホームズに、人々は熱狂していった。ドイルはホームズが主人公の探偵短編小説で成功している中、長年夢に見てきた歴史長編小説を書きたいと願うが、出版社からは「ホームズが登場しない小説は必要ない」という拒絶ばかりを受ける。
ドイルは自身の夢を叶えるため、ホームズとの運命を変える重大な決断を下す。
ミュージカル「最後の事件」公式HPより
小説と現実が入り混じる中、果たして二人の結末はどうなるのか――
加藤ドイル×渡辺ホームズ:パートナーでありライバル
「私は、アーサー少年にとっての理想の姿……というわけか」
これが非常にしっくりくるのが渡辺ホームズ。
些細な違和感をもとに論理を組み立てるプロファイリング能力、興味あるものに対する知識の量と質、現実的で時には冷酷とも見える態度、悪を許さない正義感……
ドイルが肩を組んできた後、静かにそこを手で払う所作に気位やプライドの高さも見て取れる。
少し様子がおかしいところもあるけれど、かなり完璧に近い人物として存在している感覚が凄まじかった。
完璧に作り上げてしまったが為に、後半、ドイルが夢のためにホームズを殺そうとしてからも、常に一歩先を行っている。
観劇した当初、ドイルを挑発しているようにも感じたのですが、多分そうじゃなくて。
切磋琢磨……うーーん、近いけど違う。ドイルへの期待、か?
「私のような天才探偵を生み出した天才作家」であるならば、私についてこられるはずだという期待。
命や存在のやり取りというよりも、遊んでいる(ドイルを見守っている)に近いのかも。
「何がしたい?偉大なるアーサー・コナン・ドイル?」はもしかしたら、君ほどの作者が何故私を追い詰められないのか?という、純粋な疑問として投げかけた言葉だったのかな。
ああ、そうか。
アーサー少年の理想の姿として生み出された彼は、いわばドイルの半身だった、と私は感じていたのかも。
別の個体ではなく、単なる創作物でもなく、自分の中から分かたれたもう一人の自分。
二人の対立はお互いの命と夢を賭けたものではなく、ドイルが自分自身を乗り越えるための闘いだった。
だからホームズが死を受け入れたとき、その半身が失われるという感覚が強くて涙が止まらなかったんだ。
感情で揺さぶられたのは加藤×糸川ペアなのに、涙が止まらなかったのは加藤×渡辺ペアだったのがずっと不思議だったのですが、今なんとなく自分の中で腑に落ちました。
人生という長い道の中で、特に大人になってからは自分と向き合う機会というものが増える。
増えると言うよりも、寧ろずっと自己対話を繰り返していかないと成長が止まってしまう。
まさに自分自身を見せられているようで、感情よりも理性の方が反応してしまったのだな。
そしてずっと冷静で論理的な渡辺ホームズが、優しい声色でワトソンに呼びかけたとき。
初めて彼が、自分の正直な気持ちや感情をワトソン(を演じるドイル)に伝えられたのだと、温かい気持ちになると同時に、後の展開が更に苦しくもなりました。
年長ペアの感情と論理を行き来するお芝居、言葉にしようとすると上手く書けないですけど、自分でも驚くほど刺さりました。
加藤ドイル×糸川ホームズ:パートナーであり友達
「事件がなければ意味のない人生、でも君に会えたから」
後半の楽曲「マイパートナー」の一節なのですが、糸川ホームズはこれが強烈に印象に残った。
先に語った、自分の半身で線引きが曖昧だった加藤×渡辺ペアとは対照的に、加藤×糸川ペアは別の個体として存在している感覚があったのです。
何が違ったのか思い返してみたのですが、
・ドイルが肩を組んでも嬉しそうにしている
・「アーサー・コナン・ドイル様」に込められている尊敬の念(渡辺ホームズは「アーサー・コナン・ドイル……様」と付け足した感がありありと……笑)
・ドイルが新しい物語を書いているときのわくわくが隠しきれない感じ
などでしょうか。
作者と創造物としての線引きが割とはっきりしていて、新しい物語が発表されるたび、二人の仲はより親密に友情に近くなっていくようなペアだったかな、と。
だから、ホームズの死が絡んでからは敵認定まではいかないけれど、そちらが裏切ってくるなら、こちらも容赦はしないという立場の逆転が起きる。
「何がしたい?偉大なるアーサー・コナン・ドイル?」は完全に追い詰める勢いだったし、そのための台詞だった。
加藤×糸川ペアは、友情→敵対→受容の流れだと思っていて。
ホームズが途中で、自分が過去に閉じ込められるのに恐怖していたように、ドイルもまた同じ恐怖を抱えていたことに気付くじゃないですか。
このシーン、死を受け入れたのはドイルとの友情のため、という感覚が糸川ホームズからは特に強く伝わってきた。
そしてもう一つ。このシーンでぶわっと蘇ってきた台詞があって。
「もし君を確実に葬り去ることができるなら、公共の利益のために、私は喜んで死を受け入れよう」
コナン君の映画で出てきたこれ(恐らく本編引用ですよね)。
「君」=ドイルから自由を奪う檻=ホームズ自身
「公共の利益」=たった一人の友人であるドイルの夢と自由
ここでまた、創作物と作者との線引きがはっきり思い起こされるようになる構図、ずるいなあ。
結局は創作物であり、物語のなかでしか生きられない自分と、現実を生きているドイル。
そのドイルが過去に閉じ込められる恐怖と戦っていて、恐怖の原因は自分である。
そこから導き出されるのは、ホームズ自身が死を受け入れるという結末だけなんだよな。
苦しいけれど、確かに自分の意志で選び取った「最高の結末」、見届けることができて良かったです。
その他の感想
・ペアごとの感じ方が違ったからこそ、ラストも真逆の捉え方になってしまった。
加藤×渡辺→半身が自分の中に戻った。これからの人生を一緒に成長していく。
加藤×糸川→一緒に歩んできた友として、本の中に戻った。これからのドイルの人生を見守る。
・ドイルがゴミ箱に捨てた歴史小説の原稿を、曲終わりにそっと拾い上げて抱きしめるシーンは心臓を鷲掴みされる気持ちだった。
・歴史小説が拒否されたあとの、「読んでから言えよ。読んでから。……ちくしょう」が、絞り出すような声なのに、突き刺してくる勢いで響く。
・創作者は、一度成功して名声を得た途端、過去の自分が敵となる。そして長く孤独な闘いが続いていくんだな。
・「私を殺せる者が存在しないことこそ、君が天才である証なのだ!」というホームズの台詞。存在証明における比重が創作物に限りなく寄っていて、ぞわぞわする。
・私は和樹さんが推しなので、どうしてもドイル目線で見てしまうのですが、冷静になって考えると作者の手で勝手に生み出されて、勝手に殺されようとしたホームズも心境としては苦しいよね。
・結論どっちも苦しいんだよ。韓国ミュージカル、本当そういうの得意よな。
・ホームズと現実とに追い詰められていく度に、ドイルのお酒の量が増えていて。「僕の父は芸術に秀でていたのに、アルコール依存と精神疾患で……」という台詞が蘇った。
・調べてみるとドイルパパは本の挿絵を書いていたらしい。
・公務員もしていたからアルコール依存は才能云々とは関係なさそうですけど、この流れだと「才能があるが故に過去の自分を超えられなくて苦しんでいた=ドイルも同じ運命を辿ろうとしている」に思える。
・二人芝居という構造上仕方ないことではあるけれど、ホームズが現実世界の人(編集者やドイルママ)を、ドイルが物語の中の人(ワトソンやモリアーティ)を演じるのが、二人の線引きを曖昧にしていていいな。
・それが本編終わった後の、逆転現象に繋がるのも興味深い(何だったんだ、あれ)
・マイパートナーでワトソンを演じた後、スッと表情が消えるドイルに鳥肌がたった。でもその後の「今ホームズは一人きりで殺せるチャンスなのに、心が痛む」が、もう……ダメで……
・モリアーティーがかっこよすぎましたね。あれは反則です。最初一人でワルツ踊ってて、その後ホームズも巻き込んで踊るのいいな。
・アフタートークでご本人がモリアーティーの曲難しいと言っておられて、ですよね!となりました。
おわりに
1幕100分と短いお話でしたが、非常に濃厚で体力を持っていかれる演目でした。
カーテンコールでの二人を見てやっと肩の力が抜ける、くらいの緊張感だった。
そしてこの演目、演奏はピアノのみなんですよね。
それであの楽しい感じやら苦しい感じ、張り詰めた雰囲気など、多岐多様な印象を一発で植え付けるの、凄すぎる。
マチネのカーテンコールで関東氷帝線がリプライズされていたり、ソワレのアフタートークで裏話を聞けたり……本編以外にも大満足な1日でした。
配信も決定しているそうなので、スケジュールが合えばもう一度ホームズの世界へ行ってきたいと思います。
それでは!

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