2023年4月22日、なんと3年ぶりに観劇に行くことができました!
嬉しい……。どれだけ、この瞬間を待ち望んだことか。
2020年2月のフランケンシュタイン大千秋楽後、観劇再開の作品となったのはジキル&ハイド。
人体実験ものばかり見ている気がしなくもないです笑
長年ジキルとハイド役をされてきた石丸幹二さんが、今回でラストということで、これは何があっても見に行こうという決意のもと、なんとか梅田芸術劇場のチケットを入手しました。
今更ですけど今回のキャッチコピー「石丸ジキル最後の変身、柿澤ジキル実験開始」ってとてもいいですよね。
しかし何も考えずに取ったチケットが、実は本当の石丸さんのラスト公演だったという。
2ヶ月前の私よくやったぞ!!!と褒め称えたいです。
登場人物
ヘンリー・ジキル&エドワード・ハイド | 石丸幹二・柿澤勇人 | 医者・科学者。人の善悪を分離する薬の研究をしている。 |
ルーシー・ハリス | 笹本玲奈・真彩希帆 | パブ「どん底」で働く娼婦。 |
エマ・カルー | Dream Ami・桜井玲香 | ジキルの婚約者。 |
ガブリエル・ジョン・アターソン | 石井一孝・上川一哉 | ジョンの親友、弁護士。 |
ダンヴァース・カルー | 栗原英雄 | エマの父親。 |
プール | 佐藤誓 | ジキルの執事。 |
私がみたキャストはこちら!
エドワード・ハイドは生み出されたものではない
「人の中にある善と悪の心を分離できれば、世界は良い方向に向かうのではないか?」
これがヘンリー・ジキル博士の主張でした。
そうやって自分自身で実験を開始し、登場したのが「エドワード・ハイド」という人物です。
ハイドは、ジキルの実験を否定しあざ笑った理事会のメンバーたちを偽善者と罵り、次々と惨殺していきます。
さて、エドワード・ハイドとは一体誰なのか。
違う名前を使っていますが、彼はまさしくヘンリー・ジキルその人だと思っています。
実はパンフレットにはハイドは「ジキルが生み出した」と書かれていて、とても違和感を覚えたんですよね。そのあと「分身」と書かれているので、まあ、分かるのですけど。
ハイドは生み出されたのではなく、ジキルという理性、善の心から「解き放たれた」存在です。
ジキルが飲んだ薬によって、表に出てきたハイドは喜び叫びます。
「自由だ!!!!!」
もう何にも縛られることなく、自分の欲望のまま行動できる。ルール?倫理観?そんなものを気にする必要はない。
ジキルが必死に押し込めていた衝動や負の感情、それがエドワード・ハイドという名前の男です。
これ、実験の面だけで捉えると完全に成功していますよね。
ただ、予測ができていなかった。
善と悪を分けたところで自分の身体は一つしかないのだから、結局は一緒なんですよね。
加えて今回のジキルのように、自分でもハイドを制御できなくなってしまうと「善」の心は耐えられなくなりますよね。
物語の最後、エマとの結婚式の最中に抑えたはずのハイドが再び表に出てきたとき、ジキルは親友のアターソンに望みを託します。
「私を自由にしてくれ」
結局、二つの心が混じり合ってグレーゾーンがあるからこそ人間は正気を保てる。
完全に分離してしまえば、自由にできる欲望の自分に、理性の自分が食い潰されてしまうのかなというのが私の感想です。
ハイドが自由に暴れ回ることによって、ジキルが自由を失っていく……なんとも皮肉なことだなあと思います。
それにしても、ジキルはなぜこの人体実験の許可が下りると思っていたんだろう。
「死を待つばかりの精神疾患の患者を1名ほしい」
私が理事会メンバーでも反対しますね!それなら極論自身の父親でもよかったのではないのかな?
(ジキルの父親は精神を病んだ状態になっていて、それを救うためにジキルは研究を続けていました。)
身内ではなく、全く知らない人を実験のためにくださいと言ったジキル博士は果たして善悪どちらなのでしょうか。
複雑な関係を描き続けるジキル&ハイド、エマ、ルーシー
この3人、ほんっっとうに複雑。
ジキルとエマは強い愛で結ばれていて、特にエマは誰に何を言われようが関係ないし気にしない。
2018年に見たときも思ったのですが、エマは物理的に強い。
前回の宮沢エマさんのエマは、ジキルを批判する人全てを素手で殴り飛ばしてそうだったし、今回の桜井玲香さんのエマは鋭い視線と皮肉を込めた言葉で精神的に刺しにいっていそうな勢いがありました。
ジキルもエマにはとても信頼をおいている。
何かと卑屈なジキルが「僕の支えは君だけだよ」と言うのだから、この二人は何があっても引き裂けない。
そこに登場するのがルーシー。
ルーシーは、自分をちゃんと人として扱ってくれたジキルに淡い恋心のようなものを抱く。
恋心というよりは、憧憬の方が強いかもしれない。
ジキルと出会ったことで人としての感情を思い出せたルーシーと、ルーシーと出会ったことで破滅への道を歩んでしまう運命となったジキル。
そして、その結果解き放たれたエドワード・ハイドがルーシーを再び闇へと突き落としていると考えたら、もう言葉にできないくらい辛い。
そのハイドの面をルーシーしか見ていないのも辛い。
エマだったら、ハイドごとありのままのジキルを受け入れてくれそうだけど、自分が愛している人に「悪」の部分を見せるのは苦しいものね。
最後の結婚式の場面でハイドが出てきてしまったとき、エマは一瞬たりとも彼から目をそらさなかった。
「俺はハイドだ」と告げた後も、ひたすら「ヘンリー」と呼びかけ続けた。
ハイドのときの記憶はジキルにはないのでなんとも言えないけど、結局のところ、本性の部分を見せるのはエマではなくルーシーなんだなあ。
おそらく、ハイドはルーシーを本当に愛していたんだと思う。
彼女を傷つけたり、モノのように扱ったりするのも彼なりの愛情表現だし、愛しているからこそ、自分の元から離れていこうとする彼女を引き留めるために殺してしまう。
ハイドが「あの男(ジキル)にあって、俺にないものはなんだ」と問いかけたとき、ルーシーは「あの人は、私に優しかった……」と答えるんですよね。
ハイドは優しさを知らないし持ち得ない。彼は、ヘンリー・ジキルの「欲望」の部分だから。
優しさを持っているのは全てジキルの方なので、ハイドにはどうすることもできないんですよね。
もうこのシーンの二人が良すぎてぼろぼろ泣いてしまった……。
最後、耳元で囁かれた歌でルーシーは初めてハイド=ジキルだと理解する。
絶命する前のルーシーの「ヘンリー……」がとても嬉しそうに聞こえたし、死に顔が少し微笑んで見えたのだけど、私だけかな?
ジキルとアターソン、お互いを信じていたからこそのラスト
あの、ラストの二人さあ……ずるすぎます!!!!!!
あれはもう泣くしかない。今思い出しながら涙が出てくるほどに衝撃でした。
アターソンに撃たれた瞬間、ジキルは彼の方を向いて一瞬微笑んでいたんですよ。
あれは完全にジキルでした。エマの呼びかけによって、ハイドを押さえ込んだジキル。
長く続く沈黙のなか、ジキルは必死に考えていたんだと思います。「僕には(君を撃つことは)できない」というアターソンに自分を撃たせる方法を。
そして、その方法は最愛の婚約者エマを「ハイドのふりをして」襲うこと。
よくよく考えると、ジキルは本当に残酷なことをしているのだけど、あの一瞬の笑顔でどうでもよくなってしまった。
あの笑顔は、アターソンへの返事だったんじゃないかなと思ってしまった。
ハイドを押さえ込もうと一人研究室で闘っていたときに「僕は君を信じているよ」と言っていたアターソン。
あの笑顔は「僕も君を信じていたよ」と言っているみたいだった。
見切れていて確認できなかったのですが、他の方の感想を拝見していると、アターソンはここでうなずいているらしくて……ジキル……全てをアターソンに背負わせて逝くつもりなのか?となってしまった。
本当にひどい男ですよ……。
アターソン自体はジキルのために生きてきましたという感じがとてもしました。
頑固でなにかと敵をつくりやすいジキルと他人との橋渡し的な役をしていそうだし。あの社交性すらもジキルのために身に付けたように見えてくる。
ハイドからジキルに戻る瞬間を目にしても、ジキルになった瞬間安心した顔をして「信じている」とか言ってしまう人だもの。
そりゃあ、ジキルに「撃ってくれ」と言われても「僕には、できない……」になるよね。
石井アターソン本当に優しすぎるよ。
エマとジキルの馴れ初めもだけど、ジキルとアターソンがどうやって仲良くなっていたのかもとても気になるので、いつか見てみたい気もしますね。
原作には出てくるのかな……?また読みます。
他感じたこと
ルーシーがとにかく可愛い
ジキルに出会って「恋」というものを思い出してからは無垢な少女のようにキラキラしてた。
「あんな人が」を歌っている時、ジキルから手紙を貰った時……嬉しいが滲み出ているの。手紙をもらったときに、アターソンが「早く逃げろ」って言ってるのにベッドにダイブして読むのに没頭しているのが本当に可愛い。
ジキルへの思いは多分恋愛感情とかを飛び越えて、もっと純粋なものなのだと思う。
最も人間らしさを感じたダンヴァース卿
エマのお父様、ダンヴァース卿が一番強い人間なのではないかと感じた。
強いというのは少し違うね、うーん……今回の演目の言葉を借りて言うと「善悪を抱えた人間のリアルさ」がとても魅力的に見えるんですよね。
やること全てが正しい訳じゃない。でも、それをきちんと吐露できるんですよね。エマにジキルのことを「私はたまに、ヘンリーに我慢ならないときがある」と言える。
自分の持っている汚い感情や、そういう感情を持ってしまう弱さを出して、でも迷いながらも正しく生きようとする様は、本当に強い人間にしかできないな、と思うのです。
ジキルも、ダンヴァース卿にはエマの父親というのは関係なく、他の理事会の人に対する苛立ちみたいなのはなさそうに感じました。
だからダンヴァース卿の前には現れなかったものね、ハイド。最後のシーンで現れたのはあと一人、サイモンが残っていたからだと思っている。
塩味って何なの???
これ、私が初めて見た2018年にも思ってて、観劇感想ノートにも書いてました笑
「時がきた」のあとの真剣な薬品調合シーンで、一人「???」っていつもなっています。
薬品の調合で塩味って、それ塩が生成されたんと違うん?NaClできたんじゃないん?ってなっている。
ジキル、塩で実験成功させたんか?と妙に気になっている自分がいます。
私は化学がまったくできない、not理系人間なので間違っていたら教えて欲しいです……。
ジキルを看取ったエマが見たもの
最後のエマがとても印象的。周りを見回して、いままでジキルがどんな目で見られてきたかを知る。
自分は何があってもジキルを信じるけれど、周りはそうじゃない。
どれだけの悪意を向けられながら生きてきたのか、その視線に耐えてきたのかを彼が死んでから気づく。
あそこのラストの言葉って、冒頭の「きっと最後は貴方の思い通りになるわ。いつだってそうだったでしょう」の答え合わせになっているというか。
二人が思い描いていた「貴方の思い通り」とは全く違う形だったけれども、結果的に「自由にしてくれ」という最後のジキルの望みは果たされている。やりきれない感はどうしても出てしまうけれど。
最後に
「時が来た」は本当にずるい曲ですね。
すごく成功に向かっているように期待させるような、光を掴めるかのような曲にしておいて、あの破滅エンドを持ってくるものね……。
「苦悩2」での「暗闇から、光見つけ」の光は過去のことだと思っているので、結局過去に見たはずの未来に広がっている光は禁断のリンゴだったのかなあと思わずにはいられないです。
本当に本当のラストを迎えた石丸幹二さんのジキル&ハイド、最高でした!!
私も、「この日を忘れない」です。
最後に、この日帰ってきてからおいしいものをたくさん食べたので写真を載せておしまいにします!
おしまい!
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