【観劇記録】音楽劇 ライムライト【感想】

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感想

こんにちは、macaronです。

今回は5年ぶり3度目の再演となった、音楽劇「ライムライト」の感想です。

原作がチャップリン、そして2024年現在これを舞台として上演できる許可を本家から得ているのは日本のみという、とても珍しい(?)舞台です。

私も再演を心待ちにしていた作品です。

東京公演と大阪公演で2回感想書ける~と思っていたら、書いている間に両方終わってしまいました笑(トニコンの感想に時間がかかり過ぎたのです)

次からネタバレありの感想になりますので、ご注意ください。

それでは、どうぞ!

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登場人物&あらすじ

カルヴェロ石丸幹二かつて大スターだった道化師
テリー朝月希和エンパイアバレエのバレリーナ
ネヴィル太田基裕有名なピアニスト
ボダリンク植本純米エンパイア劇場の演出家
ポスタント吉野圭吾劇場支配人
オルソップ夫人保坂知寿元舞台女優
バレエダンサー 他中川 賢
バレエダンサー 他舞城 のどか

1914年、ロンドン。ミュージック・ホールのかつての人気者で今や落ちぶれた老芸人のカルヴェロは、元舞台女優のオルソップ夫人が大家を務めるフラットで、酒浸りの日々を送っていた。

ある日カルヴェロは、ガス自殺を図ったバレリーナ、テリーを助ける。テリーは、自分にバレエを習わせるために姉が街娼をしていたことにショックを受け、脚が動かなくなっていた。

カルヴェロは、テリーを再び舞台に戻そうと懸命に支える。その甲斐もあり歩けるようになったテリーは、ついにエンパイア劇場のボダリンクが演出する舞台に復帰し、将来を嘱望されるまでになった。かつてほのかに想いを寄せたピアニストのネヴィルとも再会する。

テリーは、自分を支え再び舞台に立たせてくれたカルヴェロに求婚する。だが、若い二人を結び付けようと彼女の前からカルヴェロは姿を消してしまう。テリーはロンドン中を探しまわりようやくカルヴェロと再会する。劇場支配人であるポスタントが、カルヴェロのための舞台を企画しているので戻って来て欲しいと伝えるテリー。頑なに拒むカルヴェロだったが、熱心なテリーに突き動かされ、再起を賭けた舞台に挑むが……。

ライムライト 公演プログラムより
東京公演
シアタードラマシティ

感想

苦しみこそ人生、生きることから逃れられない

「死と同時に逃れられないことが一つある。それは生きることだ」

「苦しみこそが、生きていることを実感させてくれる」

今回の再再演を観劇して、特に強烈に焼き付いたこの言葉たち。

そしてこの言葉の通り、人生のベースにあるものが苦しみだとして見たときに、一番突き刺さったのが1幕のラスト。

今まで足が麻痺して動かなくなっていたテリーが、立って歩けるようになる場面。

このときのカルヴェロはいつかの一世を風靡した面影はなく、久しぶりの舞台の仕事に名前を変えて出演するも、あまりのつまらなさに観客が帰り、スタッフから「明日から来なくてもいい」とまで言われてしまう有様。

まさに人生のどん底にいる、そんな時期でした。

そんなカルヴェロが立って歩いているテリーを見た瞬間、自分のそんな苦しみを忘れ去ったかのように喜びで泣きそうな程の笑顔を見せてテリーと抱き合っている。

人生が苦しみに満ちていたとしても、その中に幸せだと感じることも確かにある。

たとえどんな些細なことでも、ただの偶然だとしてもちゃんとそこにある。

だから私たちは、生きることから逃れられない……裏を返せば生きていくことを辞められないのだろうと、思う。ぼんやりだけど。

この冒頭があり、中盤の転換点があり、そして終盤の最期の時。

「カルヴェロ、苦しいか?」と問うポスタントに「いや。もう苦しくない」ととても穏やかな表情で答えるカルヴェロで、もう私は駄目だった。

個だと弱いくせに、集団になると何をしでかすかわからないお客たちを嫌いと言いつつ、彼らが笑ってくれるのが何より好きだったり。

テリーのことを愛している自分の心に気づきながら、その役目は自分じゃないとはぐらかしていたり。(カルヴェロのテリーに対する想いは、恋慕ではないんだよなあ、多分。どちらかというと父性による愛情。)

人気絶頂の幕引きがあんな感じだったから、自分の限界をどこかで分かっていても納得出来ていなかったり。

そんな矛盾を抱えながら、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた果てに、本当の歓声を浴び、若い二人の芸術家・テリーとネヴィルへと繋ぐことが出来た。

あの穏やかな表情の裏に、今まで抱えてきた苦しみ、悲しみ、そして喜びをすべて昇華させることができたのかなあ、と。

そんなことを思ったりしました。

カルヴェロとポスタント

私が初めてこの演目を見た2019年は、この二人いいなあと思いながらもやはりカルヴェロとテリーの関係性に注目していました。

でも今回の観劇では、テリーとのやりとりも変わらず好きだけど、この二人も同じくらい注目している私がいました。

なんだろう。

先程書いた最期のやりとりも含めて、なんだかんだお互い大切に思っているのだろうなあと。

大切……うーん、しっくり来る言葉ではないな。

これまでのお互いの人生において、なくてはならなかった人……かな。(もっと重くなった笑)

なんだかんだ言いながら2人とも、カルヴェロが人気絶頂だったあの頃を忘れられずにいるんですよね。

それだけの濃い時間を駆け抜けてきている。

カルヴェロが言っていたように、もう引退してもおかしくないくらいの年齢にはなっているだろうポスタントがずっと劇場支配人を続けていたのも、あの頃をもう一度味わいたかったからじゃないかなあ、と思う瞬間がいくつもあって。

「たとえカルヴェロだとしても舞台から降ろす」と、カルヴェロがいない(とポスタントは思っている)場面で名前を出したり。

ラストステージで当時と同じような行動を取ってみたり。(あのハイタッチとか、「ポスターの一番上に~」のくだりとか)

一番印象的だったのが、テリーの初舞台のあとカルヴェロが姿を消したという知らせに、分かりやすく反応していたところですかね。

ポスタントのあの表情は、あの場面以外では見たことないな。

絶望とか淋しさとかそういうのではなくて、また自分の隣が空いてしまったようなやりきれない表情。

カルヴェロが使っていた化粧台の椅子に座り込んで、虚を見つめていた彼。

なんだか、ずっとカルヴェロの復帰を心のどこかで待っていて、それが叶ったと思ったらすぐに居なくなってしまって……。

戻ってきたときの喜びが大きかったから、そのあとのダメージもきっと最初以上に大きかったのだろうな。

劇中を通して、このじいさん二人のやりとりが本当に大好きでした。

5年経っただけでこんなに見方が変わるなんて……更に歳を重ねて見たときどう感じるのか、今から楽しみです。

ライムライトの魔力

物語の最初と最後に挟まれる「ライムライトの魔力」。

これは本当にコンサートに行くようになったり、舞台を見るようになったりしてから本当に分かるようになった感覚。

ずっとそのときの役者の方を覚えていたり、目に焼き付いて離れない場面があったり、今でも思い出せる感覚があったり。

その感覚って毎回出逢えるわけでもなくて、気づいたときにあらぬ角度から飛び込んでくるんですよね。

「えっ、待ってそんなことある???」みたいな、すぐに脳内処理が追いつかない感じになる。

この物語は役者目線でお話が進んで行きますが、きっとライムライトの魔力に魅せられるのは役者だけじゃない。

板の上で真ん中を目指す人達、今その光を浴びているスター、舞台を作り上げる制作陣、そしてそれを受け止める観客。

みんなその光に囚われる瞬間がどこかであるのだろうと思う。

例え方が悪いんですけど、一種の麻薬のようなものだと感じるときがあります。

光の中で輝いてるスターは突然現れ、時の流れと共に去って行き、そしてまた新しいスターが現れる。

でもふと思い返したとき、今でも昔そこで輝いていた人達が自分のなかで生きていることに気付く時がある。

とても矛盾しているように聞こえるけれど、それを本当に起こせるところが「ライムライトは、魔法の光」と言われるところなのかな、と。

先程も書きましたが、今回のカルヴェロはテリーとネヴィルに引き継いげたことに安心した感がとても強くて。

あとは不完全燃焼で終わった自分のステージにどう幕引きするかの気持ちだったのかな。

1回目と2回目でエターナリーを歌うときの表情がまるで違うように感じたのも、そういうのがあるのかもしれない。

石丸さんのコメントなどを見たときに、若い世代へ繋ぐという感じのこと仰っていて本当に演じるのが上手だなあ、というか伝えられる演じ方をする人だなあ、と改めて尊敬しました。

その他感想

・もうモノローグで泣きそうになるのだけど、そんな舞台ある?「バレリーナと道化師。ロンドン、夏の夕暮れ」

・そういや、劇場支配人の立場ってどこなんだろう。カルヴェロがやらかしたとき、ポスタントも批判されたりしたのだろうか。

・オルソップさん本当に好きすぎる。

・オルソップさんとドア役のもっくんの「ニャー!」「シャーー!!!」が可愛くて可愛くて……。

・初演から変わらない組は、これからもずっとできる限り続投して欲しい。

・間のコメディ担当(?)のボダリンクさん本当に芸が細かい。でも、最後の「テリー、出番だ」から舞台にかける情熱がすごく伝わってきて、色んな感情が渦巻く。

・そういや、冒頭でもカルヴェロに手持ちの全財産を渡したりと、凄く人情溢れる男前なんだよな。

・ネヴィルに関しては、本当に幸せになって欲しい。

・テリーと再会したときの上手く話せない具合が、ああ……好きなんだな、と温かい目で見守りたくなってしまう。

・ネヴィルが成功したときテリーは一番沈んでいて、テリーが成功したことでカルヴェロの影は深くなる。なんとも言えないこの感じ。

・ネヴィル、カルヴェロが自分の分のお酒を飲んでも全然穏やかな顔をしているのに(驚いてはいるけれども)、テリーのこととなると、そんな表情できたんか?と思うくらい怖い顔している。

・東京では、最後の喝采を浴びる場面でカルヴェロがライムライトが照らす光の外へ一歩出たように見えたのだけど、大阪では留まったままだった。見間違い……だったのかな。

・いままでエターナリーが一番好きだったのだけど、改めて聞くと最後の「You are the song」がとてもいいな。次に繋ぐことをかなり強めに感じていたからだろうか。

・この曲自体はライムライトとは違う映画の曲らしいのですが、本当ぴったりに思えてしまう。許可出て良かった。

・劇中劇の「コロンビウヌの死」の死のシーンが本作のラストと重なってしまう。

・「道化は泣くが、コロンビウヌは笑っている」→現実は「道化は笑い、テリーも微笑みを向けている」

・カルヴェロはもしかしたら幻影なのではないかと思うときがあった。皆が憧れるスターとしての象徴。そしてそこに立ちたい、戻りたいと願うライトの外側の人達の象徴。

・相変わらずの場面転換の美しさ

おわりに

この舞台を、また見る事ができてよかった。

そして次回も見に行きたいと思う。

そういや、感想の中に書いた「いつまでも忘れられないだろうと思う光景」、皆さんもありますか?

私は、2020年のフランケンシュタイン大千秋楽(あきかず)のラストシーンと、V620周年のラスト公演アンコールのサプライズだったメッセージリボンシャワーですね。

こういう現場じゃなくても、日常でもふとした瞬間にそういうものってあると思います。

よかったら、また教えてください。

それでは!

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