【観劇記録】FACTORY GIRLS-理不尽に屈さず、真正面から立ち向かった女性たちのお話-

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感想

2023年6月10日、身内に誘っていただいて「FACTORY GIRLS-私が描く物語-」を観劇してきました。

アメリカマサチューセッツ州のとある紡績工場で働く女性たちの闘いのお話です。

このお話、割と現代の労働環境にも通ずるところがあると思うので、これからも定期的に再演してほしいなと思いました。

この演目を見ると、舞台上で輝いている彼ら彼女らに稽古中はギャラが発生していないのは、どう考えてもキツいなあと感じてしまう。

本当に舞台界隈のお給料システムは一度見直して欲しい……。

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登場人物

サラ・バグリー柚希礼音自由を夢見てローウェルにやってくる。理不尽なことが許せない
ハリエット・ファーリーソニン雑誌「ローウェル・オウファリング」編集者。女性の地位向上を目指して活動している
ルーシー・ラーコム清水くるみサラを寮へ快く受け入れる。
グレイディーズ谷口ゆうな孤児院育ち。ルーシーと同じ寮に住む。歌手になるのが夢
アビゲイル美咲凜音病気の弟のため治療費を稼いでいる
アボット・ローレンス原田優一工場のオーナー
ウィリアム・スクーラー戸井勝海マサチューセッツ州議会議員
ラーコム夫人春風みどりサラたちの棲む寮の寮母。物語の語り部

感想

慣れほど恐ろしいものはない

「自由って、なに?」

今作、一番衝撃を受けた言葉です。

安いお給料で日の出から日暮れまで働き通し。お昼休憩は30分。

仕事場の環境は最悪。歯車のように働かされ続け、肺の病気になると休職扱いという名の強制解雇。

オーナーは工場の経営だけを考え、労働者のことはまるで使い捨てできる存在だと言っているよう。

そして一番恐ろしいのは、そんな最悪な環境に彼女らが慣れてしまっているということ。

「ここに来て働くということは、こういうことなのよ」

外の地域からやってきたサラに、ずっとローウェルで働いていた女性たちは言います。

これが当たり前なのだから、仕方ない。他も同じようなものだから、自分たちだけが理不尽な訳じゃない。

現状に納得しているわけではないけれど、我慢して働いてさえいればお給料はもらえる。

人間の持つ適応力は凄いですが、劣悪な環境にも慣れてしまう……。

「慣れ」とは、違和感や思考を放棄させるとても恐ろしいものだと感じました。

現代でもそういうところないですか?

今はテクノロジーが進歩しているので、この頃ほど劣悪な環境というのはあくまでも日本では少ないかもしれません。

ただ、残業や上司のパワハラ、セクハラなども全くないなんて言える社会じゃないですよね。

それでも続けているとその環境に順応していく。

周りの迷惑や自分の状況を考えてどんどんそこから抜け出せなくなっていく。

こんなことに慣れないために、常に考え続けないといけません。

FACTORY GIRLSで働きながら、サラはずっと考えていました。

なぜこんな労働環境がまかり通っているのか、女だからと下に見られるのはなぜか、皆はなぜ何も言わないのか。

そして、どうすればこの環境を変えられるのか。

今の私たちは当時と違い「自由」、そしてその裏にある「責任」というものを知っています。

人生における選択を、自分の意思で決めることが出来る。

そういう時代に生まれたからこそ、しっかり自分で考え、選び取って最後に笑えるように生きていかなければならないと思いました。

世界を巻き込みながら、歴史は動いていく

今回の物語は、女性初の労働組合を作り上げたサラ・バグリーが主人公のお話です。

FACTORY GIRLSを見ていて、彼女がこの時期に現れたことを偶然だとはとても思えませんでした。

サラ・バグリーはローウェルに来るべくして来た人だと、後の時代にいる私には感じられたのです。

彼女らが自由を求めて闘った19世紀は、世界的に見ても大きく転換していった時代です。

ヨーロッパではナポレオン体制の崩壊、王政の復活を経て、国民が自由を求めて次々と立ち上がるようになっていきます。

産業革命を達成した国は自国の経済を発展させ、一つの国家としての認識を強めていく流れにありました。

19世紀と言えば、200年もの間外との関わりを絶っていた日本が、表舞台に戻ってくる時代でもありますね。

川に広がる波紋のように、世界を巻き込みながら歴史が動いていくとき、そこには必ず小石、つまり声を上げ立ち上がる人がいます。

そういう人たちが現れるから歴史が変わるのか、歴史が変わろうとしているから声を上げる人たちが出てくるのか……。

個人的には凄く深い謎だと思っているのですが、皆を立ち上がらせていくサラを見て、時代を動かすために導かれた一人なのだと感じました。

ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」のような存在に思える。

ところで。

1830年代と言えば、フランスでは自由を求めて市民や学生たちが6月暴動を起こした時期でもあります。

レ・ミゼラブルのクライマックスで描かれるバリケードの場面ですね。

このとき学生たちを率いていたリーダーであるアンジョルラスは皆をまとめ上げるカリスマ性を持っていました。

もちろん彼の存在はフィクションですが、ユゴー自身の体験を元に書かれたそうなので、もしかしたら本当にそういうリーダーがいたのかもしれません。

この二つが同じ時期に起こっていたことに観劇後気づいたときは、鳥肌が立ちました。

お互いを想ってぶつかれる関係性が眩しい

最後に、サラと共にこの時代を闘ったハリエットに関連したことを述べたいです。

この物語で素敵だなと思ったのは、サラをはじめ工場に残って働いていた女性たちと、独立して雑誌の編集長となったハリエットが「対立する」という形にならなかったこと。

独立してからのハリエットの雑誌には、世間の実情について当たり障りのない記事、ローウェルについて賞賛している記事しか書かれない。

私だったら、何でこんな嘘の記事ばかり書くの?今まで言っていたことは嘘なの?って思ってしまう。

実際、サラたちはハリエットがアボットやウィリアムに圧をかけられていることまでは知らなかったはず。(薄々勘づいてはいたかもしれないけれど)

「立場が変わったとしても、私たちは仲間よ」と言いきったアビゲイルや、「騙されているのよ」と心配をするサラに、彼女たちのつながりの強さが見えました。

そしてハリエット自身も自分がどんなに圧力をかけられようと、水面下で工場で働く仲間たちを常に気に掛け、来るべき時代に向けて動き続けていた。

全く別のやり方を取りながら、目指している場所が同じであることを彼女たちはずっと疑っていなかった。

時にはぶつかることもあるけれど、決していがみ合いではなくお互いを思っているからこそ。

なんだか、そういう関係性っていいなあと思います。

「なんで分かってくれないの!」とお互いにすれ違っていたサラとハリエットが、終盤、「分かってあげられなくて、ごめんね」と抱擁を交わす場面は熱かったなあ。

こういう展開はわかっていてもグッときます。

それから、最初の方でサラと別れたあと、一人で控えめに踊っているハリエットが可愛すぎますので、これから見られる方は必見です。

他感じたこと

正直、ベンジャミンは裏切るかと思っていた

本当にごめんなさい!

なんだかんだで彼は叔父のことを尊敬しているし、逆らえないところもありそうな雰囲気だったので、ハリエットより父親の味方になるのだとばかり思っていました。

実際は、ハリエットがアボットやウィリアムに逆らって意思を示そうとしたときに、「思っていること、全部言っていいんだよ」みたいなことを言ってくれるとっても言い彼氏(暫定)でした。

恋愛に関しては強引なとことがありますが、違う立場の人たちも関係なく接するし、勉強熱心、真っ直ぐで正直、向上心もある。

めちゃくちゃいい人でした……。

ただ、鯨油ランプの件で謝罪するのはハリエットにではないでしょ、とは思った。

実際現場でそれを活用した工場の人たちには謝ったのかな?

それだけが疑問です。

立場の違う人

FACTORY GIRLSは労働条件の改善を目指して闘う女性たちのお話ですが、少しだけ移民のお話も出てきます。

工場長や議員とは別の異なる立場の人たちです。

移民についての歴史や扱われ方は知識不足であまり分かっておらず申し訳ないのですが、この異なる二つのグループを描いてくれたのはとても勉強になるなと思っていて。

何かを問題提起するとき、それはきっと自分たちの所属する立場のことを考える人がほとんどだし、それはきっと当たり前のことなのでしょう。

しかし小さなコミュニティのときならそれで通ったかもしれないですが、地球上に存在する全ての国や人間を一つのコミュニティとして捉えられるようになった現代ではそれで成り立たない。

今問題になっている温暖化の件などはまさにそうですよね。

今回のミュージカルでは、最終的にサラたちとアイルランド系移民のシェイマスたちは手を取り合います。

問題は彼ら彼女らが労働条件の改善という目的を達成したとき、その後も協力関係を続けていけるのかどうか。

とても興味があるので、また書籍などがあれば読んでみたいと思います。

おわりに

いつになく世界史のことを熱く語ってしまいました。

世界史がとても好きなのですが、流石に学んだのが昔すぎてほとんど覚えていないので、またどこかで学び直したいなあと思います。

ハリエットのところで少し書いた「対立」の構図ですが、これは観劇した後に1789の「自由と平等」あたりがずっと重なって見えていて。

皆それぞれの思いを抱えてもがきながら、それを乗り越えて肩を組み合えているというのがどんなに凄いことかと考える時がある。

考えることを放棄してしまったら、それこそ冒頭の彼女たちみたいに機械のようになってしまう。

常に思考し、自分の手で選び取っていけるような、それを誇りに思えるような人間でありたいと思います。

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