【読書感想】夏目漱石「こころ」

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感想

こんにちは、macaronです。

あの有名な夏目漱石の「こころ」をやっと読み終えたので感想を書いていきます。

こころに関しては、高校生の教科書に載っているので知っている方も多いのではないでしょうか?

私も授業で習ったとき衝撃を受けた作品です。早く続きが読みたい!と、先生の話もそこそこにお話に没頭した記憶がありますね……。

そこからずっと「全部読みたい」という意識はあったもののなかなか手を出せず今に至るわけですが、それでもこうしてちゃんと読破できてよかったです。

日本が誇る最高峰の鬱文学とだけあって本当に暗いですが、今に通じるものもありますし、わかるなあ~と感じる部分もあるので、どんどん引き込まれていきます。

ちなみに、私は熱中して読んでいたら一駅乗り過ごしました。

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登場人物

本作の主人公。偶然出会った先生に懐き、思想を語り合う関係になる
先生先生と呼ばれているが教師ではない。死んだようにただ生きている。昔はそうではなかったらしいが……
K先生の親友。故人。熱心な仏教徒
奥さん先生の妻。「先生と遺書」ではお嬢さんという呼び名で登場する

人の核心部分に踏み込む勇気を持てるのか

第一部「先生と私」。

Kを死なせてしまったことをずっと抱えて生きている先生と、先生の秘密を全て知りたい私の攻防戦のように感じました。

主人公の私は、ある日偶然出会った先生にとても興味を持った。

理由は「昔どこかで見たことがある」というふわりとしたもの以外、特に書かれていません。

なんとなく思うのですが、私は初めて先生を見たときから彼が持っている薄暗さに惹かれていたのでないでしょうか。

人は自分と違うものに対して畏怖の念を抱いたり、興味を持ったりしますよね。

私の先生への傾倒の仕方はそれの究極系のような気がします。

そして先生と仲良くなり、お互いの思想について議論を交わすうちに、その考えに至った経緯を全て知りたいと望むようになる。

先生の過去、毎月お墓参りに行く理由、奥さんのこと……。

それらを全て知り尽くして、この尊敬する先生の思考回路を共有したい。知識欲なのか、ただ単に傲慢なだけなのか。

ただ、そんな強引な私も先生が過去のことを話すと言ったとき、少しひるんでいたような気がします。

「私の過去をあばいてもですか」

あばくという言葉が突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前にすわっているのが、一人の罪人であって、ふだんから尊敬している先生でないような気がした。

夏目漱石「こころ 上 先生と私」 P90

人は誰しも他人には触れられたくない部分があると思っています。

そこに触れようとする行為はその部分にナイフを突き立て、傷口をえぐっているようなものです。

この一言で、私の行動がそのようなものであると先生に突きつけられ戸惑ってしまう。

人の奥の奥底に閉じ込めたものを暴いて、引っかき回す覚悟はあるのか?

これに真正面から挑んだ私は、本当に先生を尊敬して……いや、そんなものじゃなくて崇拝の域に達しているなと思ったのが本音です。

若さ故の真っ直ぐさ、正直さ、そして視野の狭さ。狂気にも見えるほどの盲信ぶりは、大人になるにつれて失われていく純粋さにも見えてしまいます。

そしてその思いに動かされたのが先生。

「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だからじつはあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬまえにたった一人でいいから、ひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。」

夏目漱石「こころ 上 先生と私」 P90

人の柔い部分に触れるのに覚悟がいるのと同じように、他人を信用するにはかなりの覚悟が必要です。

私のことを信じたいという思いと、また人に裏切られて傷つくのは嫌だという気持ちが葛藤していた先生も私が覚悟を決めたのを感じ取った。

先生はきっと私に対して「覚悟」があるのか聞いたのと同時に、自分にも私に過去を打ち明ける「覚悟」を持てるのかを問うていた。

覚悟、か。

かつて先生がKに持っているのかどうか問いただしていたそれを、巡り巡って自分が問われる立場になるとは。

とても皮肉にも感じますし、逆に一番納得のできる幕引きの時がきたと感じて楽になったかもしれないと捉えることも出来る場面に思えました。

「あなたに」という魔法と呪い

少し別の話をさせていただきたいです。

以前ブログでも紹介した「書く習慣」についての感想をツイッターにアップしたとき、「あとがきのある言葉がグッときたのだけど、それはまた別の機会に」と言っていたんですが……。

こちらのツイートです。

その機会が来ました。

「あなたに向けて書きました。」

いしかわゆき「書く習慣 おわりに」 P277

この一文、たった一言なのですがとても深く私の心に響いた文章です。

なぜ、このお話をわざわざこの記事でしたかというと、当時、並行して「こころ」を読んでいて先ほどの文章と同じですが全く逆の気持ちになった文章に出会ったからです。

「私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。」

夏目漱石「こころ 下 先生と遺書」 P160

そもそも、「あなた」という二人称はすごく「私」を強調する言葉だと思っています。

「これ、お願いね」と言われるより「これをあなたに頼みたい」と言われた方が、頼られていると嬉しくもなりますし、逆に断るのが難しくもなります。

肯定的に捉えるならば、私にスポットライトを当ててくれているような、魔法をかけてくれているような気持ちになります。

否定的に捉えるならば、私を拘束するような、呪いをかけられているような感覚です。

先生が意識していたのかは分かりませんが、自分の薄暗い過去を打ち明けた遺書で「あなたに」を使うのは、私を縛り付けているような、そんな感じがしたのです。

そして、このような感想を述べておいて矛盾したことを言うのですが、何回も遺書の冒頭部分と締めくくりを読んでいると、だんだんと私に向けての恋文に見えてきてしまうんですよね。

過去に囚われて、もはや先生自身も分からなくなってしまった本来の自分というものを、どうか見つけ出して欲しいという願いが込められた恋文。

しかし、Kの死に囚われてしまった先生は、自分が遺書を残して死ぬことによって、今度は私があなたの死に囚われることになるかもしれないとは考えなかったのかなあ。

私が聞きたがっていた先生の過去は、先生が生きて直接語らなければ私にとってはなにも意味のないことだったろうに。

そして冒頭、先生の出会いを回想していた私は、なんのために筆を執っていたのか。

先生の奥さんが亡くなるまではどうか秘密に、とあったからもしかして奥さんが亡くなったから書いていたのか、それとも……。

いや、きっとそんなことはないと信じたい。

先生とK、矛盾にあふれた世界で生きていくには真面目すぎた2人

Kについて一番思いを巡らせたのは、やはり彼が自殺した原因についてです。

教科書に抜粋されていた一部を読むのと、小説全体を読むのとでは、当たり前ですが感じ方が変わってきますね。

私は、Kが死を選んだ原因は先生にあると思っていますが、それは恋愛面で彼に騙されたからだとか、失恋したからなどという理由ではないと思っています。

もともとKには端から見て「命を投げ出してしまうかもしれない」という危うさはあった。

数珠を数え続ける行為について書かれた部分は特にそれを感じます。

終わらない数珠を勘定し続けるのは、輪廻。永遠に続いていく苦行を示している。

Kは熱心な仏教徒であったから、その苦行を数えつつどこかで断ち切ろうとしていたのかな、と思ってしまいました。

Kの使っていた「道」という言葉は輪廻から解放される道、彼が精進するのは円ではなく真っ直ぐ伸びていくそこへ辿り着くためだったのかな。

その道の途中でお嬢さんと出会い、思いを寄せるようになってしまう。

その間、Kの中には自分の理想としてきたことや信条、先ほど書いた道というものはどこか遠くにいっていたのかもしれません。

そのなかで、先生がKに言い放った言葉、かつてはKが先生に向かって言った『精神的に向上心のないものは、ばかだ』は、どれだけKに絶望を与えたか計り知れないです。

先生はこの言葉でKの恋の道を塞いだように書いていましたが、どちらかというと元の理想をKの目の前に用意した方が近いような気がします。

そしてKは生きている中で一番の苦しみを抱えているそのときに「覚悟」を決めた。

この度の自分は、恐らく輪廻から抜け出せない。恋愛などという、自分の目指すところと対局にある煩悩に一時でも支配されてしまった自分には。

自分は薄志弱行でとうてい行先の望みがないから、自殺する

もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きていたのだろう

夏目漱石「こころ 下 先生と遺書」P280

もっと以前に覚悟を決めていれば、こんなに弱い自分に気づくことも、苦しむこともなかった。

そしてそのきっかけを作ってしまったのは間違いなくK自身であり、とどめを刺したのは先生だった。

Kは過去の自分に、崇高でありたかった自分との矛盾に苦しみ死を選んだ。

一方で先生も、大変なことをしてしまったと、最も軽蔑していた叔父のような「人を騙す悪人」に自分もなってしまったと気づいたとき、彼もまた死んだように生きていくことを決めた。

結局はすべて自分に返ってくる。この作品は特にそれが多いように感じました。

……あまりにも暗い感想になってしまったので、先生とKの過去について考えたことを少し書いておきます。

この情報、教科書には載っていなかったと記憶しているのですが、先生とKは同郷だったのですね……!!

先生はよくKのことを強情だと表現しているけれど、一歩引いて見てみると先生も割と頑固なところがあると思うので、故郷にいたときからぶつかり合っていて欲しいな。

お互いの思想から、世間一般的なことについてまで議論の末にただの口喧嘩になっていて欲しいし、なんなら殴り合いに発展していても面白い。

でも先生がKを見上げないといけないほど身長差があるのなら流石にそれはダメか……いや、体力は先生の方があるから大丈夫かな?

……とまあ、そんな私のちょっとした妄想でした笑

最後に

夢中になってこの本を読み終わったとき、最後は本当に遺書だけで締めくくられていて、私の考えが一切書かれていないことに驚きました。

そして、そう言えばと思い最初のページに戻ると、導入部分には確かにこの遺書を受け取っていくつか年月を経た私の回想部分から始まっていて、凄いなあと素直に思ってしまいます。

「先生と私」「両親と私」については私視点で、「先生と遺書」は先生視点で進められるため、他の人の心情は一切分かりません。

結局、他の人が何を感じ、どう思っているのかは知りようがなく、そこに私たちは恐れたり不安になったりしてしまう生き物なのだと突きつけられているような感じでした。

「こころ」というものは、喜怒哀楽の4つで構成される単純なものでありながら、世界一複雑なものだと思い知らされるようでした。

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