【観劇記録】ミュージカル ワイルドグレイ【感想】

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感想

こんにちは、macaronです。

2025年の観劇初めは「ワイルドグレイ」から。

当初は東京のみの予定だったのですが、ギリギリで大阪のチケットも取りました。

私は2回とも青チーム(平間さん、広瀬さん、福山さん)を観劇。

本当によかったのですが、赤チームを観劇出来ていないのがやはり心残りなので、近いうちに同じキャストで再演していただきたいな〜、なんて思っています。

次から、ミュージカル「ワイルドグレイ」と小説「ドリアン・グレイの肖像」双方のネタバレを含んだ感想です。

それでは、どうぞ!

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登場人物&あらすじ

ロバート・ロス福士誠治/平間壮一ワイルドの友人であり支持者
オスカー・ワイルド立石俊樹/廣瀬友祐小説家・劇作家
アルフレッド・ダグラス東島京/福山康平ドリアンに似た青年貴族

慣習とと規範に縛られた19世紀末のロンドン。
小説『ドリアン・グレイの肖像』は美と若さのために魂を売り渡す青年ドリアン・グレイの物語。
現実と虚構、あまりにも背徳的な世界観を描き、出版されるとたちまち英国社会に衝撃を与えた。

それから1年後、作者であり文学界の異端児オスカー・ワイルドは大英博物館で美術鑑賞を楽しんでいた。
傍らには友人であり支持者でもあるロバート・ロスがいる。
そこでワイルドを待ち受けていたのが美しい青年貴族、アルフレッド・ダグラス、通称ボジーだ。
その容姿は『ドリアン・グレイの肖像』の主人公ドリアンそのもので、ワイルドは心を奪われる。
ボジーに出会い、ワイルドは戯曲『サロメ』を書き上げた。
預言者ヨカナーンを愛したヘロデ王の娘サロメの物語。
ボジーはサロメのように振る舞い、ワイルドとボジーの関係は一層燃え上がる。
二人のスキャンダルに激怒したのが、ボジーの父クイーンズベリー卿。ワイルドを男色罪で告訴する。
ロスはどうにかワイルドを逃そうと奔走するが――。

ミュージカル ワイルド・グレイ パンフレットより

感想

過去から繋がる今

ワイルドが自身の小説の中で死なせてしまったドリアン・グレイ。

「本当は彼は死にたくなかったはずだ」と、ドリアンそっくりのボジーに指摘されて、現実世界でそれを書き換えられるのではないか、と自らその舞台に上がったワイルド。

そして最後に待つのは破滅。

結論から言えば私は、ワイルドはあのラストを現実世界で書き換えることが出来たのだと思っています。

ひとつは本当のラスト。

ボジーが裁判で「オスカー・ワイルドは、どのような人でしたか?」と聞かれた時。

史実でボジーが答えた「私が知る限り、この世界で最も邪悪な魔力でした」をワイルドが言うあの演出。

これをワイルド自身が言うことによって、アルフレッド・ダグラスを守り抜いた。

つまり、ワイルドにとってのドリアンを守り抜いた=小説でのドリアンが破滅したラストを現実世界で塗り替えることが出来た。

そう感じました。

ちなみに、このシーンの直前。

「ボジー」と呼びかけるワイルドの声色がとても優しくて。

なんかもう120分の間に色々ありすぎたけど、それを含めてあの穏やかな笑顔と声を向けられるの、もう愛しかないよね。

話が逸れてしまったのですが、もう一つは実はワイルドの台詞。

「自分の過去を否定したくないんだ。」

ドリアンについては、ボジーと同じで「彼は本当は死にたくなかった」というのが私の意見です。

小説の中の彼は、罪を犯してきた過去の自分を消し去って新しい「ドリアン・グレイ」として生きようとしていた。

そのために彼は、彼の罪を写し出すかのように変化していった肖像画を葬り去ろうとした。

その結果、自分が死んでしまった。

過去歩んできた道は今の自分に繋がっている。

それを消し去るということは、今の自分を消してしまうことと同義になってしまう、の究極系なんだろうなと解釈しています。

だから、ワイルドが「自分の過去を否定したくないんだ」と言った時、少しほっとした。

真にいい事しかしない人間なんて存在しないと私は思っていて。

いい事もすれば悪い考えに支配される時だってある。

それに喜んだり、後悔しながら生きていくのが私たちで、そうやって「自分」というものが形成されていく。

だからこそ、過去と今を切り離すことは絶対に出来ない。

私はずっとワイルドをヘンリー卿、ボジーをドリアンとして見ていたのですが、このシーンはワイルドのことをドリアンと感じていたのですよね。

もしかしたら誰でもドリアンになる可能性があるのかな、と思ったり。

自分の過去と向き合った時、間違いや醜さもすべて受け入れられるか。

それとも耐えられず逃げ出すか。

小説の中のドリアンは後者でした。

舞台上のワイルドは前者だった。

ワイルドをドリアンと捉えた時、小説のドリアンが取った行動とは真逆で、結末を変えられたのだと思う。

たとえ向かう先は同じ破滅だったとしても、自分を消し去ってしまうのと、自分を否定せずに受け入れるのとでは捉え方は全く異なるものになるのではないでしょうか。

完全なる美と傷

舞台を見ていて、広瀬ワイルドの目の演技が凄いなとずっと思っていた。

ボジーに心を持っていかれる瞬間が手に取るようにこちらに伝わってくる。

最初は軽くあしらっている感じにも取れるのに、ボジーが彼の境遇を語り始めたあたりから、明らかに目付きが変わるんですよね。

何故か、彼から目が離せない。

まるでドリアンに出会った瞬間に、彼の虜となったヘンリー卿が乗り移ったかのように。

それにしても、ワイルドの言う美しさは何だったのだろう。

床に投げつけられてボロボロになった向日葵を見ながら「美しくないものに興味はない」と言っていたから、完璧なものに美しさを感じているのかと思ったのですが。

でも、ボジーが父親から所謂虐待を受けたいるという、傷だらけな部分をさらけ出した時にかなり見惚れていたので、実は違うのか。

それとも、ボジーとの出会いで完璧なものの中に少し傷があることに魅力を感じるようになったのか……。

でもまあ、それなりの地位もあって、普段は自信たっぷりで生意気でやりたい放題している人が、ふと弱さやトラウマを見せたら……そりゃあそのギャップは魅力的に見えるな。

目の演技と言えば、サロメのタンゴのときも凄かったなあ。

お互いに微妙に違うタイミングで表情が無になる瞬間があるの、大興奮だった。

どちらが踊らされているのか……もっとサロメの解像度を上げたい笑

無償の愛が報われないときもある

ロビーについても、色々書きたいところがある。

恐らく彼は、私たち観客が1番感情移入しやすい人物なのだと思う。

ワイルドの一番になれなくても、友人として彼のことを傍で支え続ける献身的なところ。

そのワイルドを破滅へと追いやった原因であるボジーに対して怒りを露わにするところも。

(大阪でのロビー、本当にボルテージMAX超えのブチ切れ状態でボジーに詰め寄っていて怖かった。)

一番報われて欲しいのに、一番苦しい。

個人的に、とても苦しくなったロビーのセリフが2つあって。

どちらも裁判をなんとか辞めさせようとするときの言葉なのですが。

ひとつは「法の前ではただの男色罪だ!」

彼自身のこと、彼のワイルドへの思いまで否定しているようでなんとも言えない気持ちになった。

もうひとつは「君は中産階級だ。貴族じゃない。ボジーや僕とは違うんだ!」

これも本当に、本心からこういうことを言いたいんじゃないって分かるのに。

ワイルドを守りたくて、なんとか裁判を辞退してほしくて必死になって出た台詞がこれなの、地獄すぎる。

ワイルドの返しも伝わっているのかそうでないのかが私には判断つかなくて。

ただかなりのすれ違いがあったことは分かった。

立ち位置的には恐らくバジルなんだろうけど、私は「ドリアン・グレイの肖像」の中でも、一番バジルに報われて欲しかったよ。

その他の感想

・開幕冒頭のボジーとロバートのやり取りが、小説の中のドリアンとバジルのやり取りそのもので、流れが分かっているのにとても怖かった。ナイフが更に恐怖心をかき立てる。

・ヴァイオリンの方が前に出てくるシーンが二カ所。一つ目はワイルドがその演奏に拍手をしていて、二つ目は気付いていない。ここら辺でワイルドが舞台上に上がってしまったのだな、と思わされた。

・BGMは見る側は情報として受け取れるけれど、出演者というかその世界で生きている人にとっては聞こえていないものだものな。

・先程、ロバートはバジルの役割なんだろうと書きましたが、つまりそれって一番普通で平均的。ヘンリー卿の言葉を借りるなら「つまらない」側の人間。

・でもそうやって書いているのがワイルドなんだと考えたら、もう……報われなさ過ぎる。

・物語が進むにつれて苦しくしかならないので、最初の方の様子のおかしい廣瀬さんをたくさん摂取しておかなきゃ!という気持ちになる。

・ところで、ワイルドが描く自転車がですね……○のみになっていて思わず大爆笑してしまった。

・あれ毎公演変えているのですかね?厳選してステッカーなどにして欲しい。

・小説を読んでから見ると額縁が出てくる度に怖くなるんだよなあ。「今の君の顔、見せてやりたい」からの額縁シーンは特に。

・見た後しばらく「ヨカナーーーーーン!!!!!」が頭から離れなかったです。

・いつかサロメも読みたい。

・誘惑に打ち勝つ方法はただ一つ。その誘惑に屈してしまうことです。

・裁判直前の霧の中のシーン。あれはもう反則過ぎる。「こうすれば、私が先に刺されるだろう?」は本当に惚れるしかない。

・ボジーは、ワイルドが美しい物が好きなのを知っていて自分もそうありたいと思っている。でも実際は酷く傷ついていて美しいとはほど遠いことも知っている。

・そのボジーがあの一瞬の穏やかさの中で、「今僕は美しい」と言い切るのが好きでたまらない。あのシーンは本当にボジーの持つ純真さ、本心を唯一真っ直ぐに吐露するシーンだったので。

終わりに

2025年の観劇始めから、とても素晴らしい舞台、物語、登場人物の人生に出会うことが出来て本当に嬉しい。

今年もいい観劇の年になりそうです。

そう言えば、ドリアン・グレイの肖像を探しに2日連続で本屋さんに行ったのですが、1日目には2冊あったサロメが2日目には1冊になっていました。

もしかして、私の地元も誰か観劇していた人が居るのだろうか……?と短絡的な疑問を抱いてしまったのでした笑

それでは!

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