【読書感想】天国の修羅たち-全てを裏切り、全てを救いたいと願った男のお話【ネタバレ】

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感想

昨年から読んできた「地獄の犬たち」「煉獄の獅子たち」に続く「天国の修羅たち」、ついに読破しました。

これにて、ヘルドッグスシリーズ完結になります。

地獄の犬たちがヤクザ組織、煉獄の獅子たちはヤクザと警察の両組織、そして本作天国の修羅たちは警察組織がメインでお話が展開する流れになっています。

前2作に比べるとページ数はかなり少ないですが怒濤の展開で圧倒されます。

煉獄から続く因果と、地獄から続く兼高の戦い、それらに決着がついたとき嬉しさと寂しさと……いろいろこみ上げてきてしまいました。

残されたあれやこれやを全て良いところに落とし込めていて、完結と呼ぶにふさわしい作品だと思いますので、まだ全て読めてないという方は是非読んでみてください。

ここから先ネタバレありの感想になりますのでご注意ください。

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登場人物

登場人物

神野 真里亜警視庁捜査一課 巡査部長
樺島 順治マル暴刑事。神野真理とバディを組んでいる
近田 巌夫組織犯罪対策特区別捜査隊 隊長
町本 寿元組対部参事官
納見 一久人事一課 監察官
車田 拓ジャーナリスト 元刑事
出月 梧郎元刑事 

感想

裏切りは信頼から生まれるもの

3作全てに裏切り者が出てくるのですが、今回の「天国の修羅たち」ではそれが前2作よりも多いように感じました。

裏切り者が多いというよりは、そこに焦点を当てる場面がかなり多いです。

出月から阿内、警察から出月、兼高から東鞘会、玲緒奈から我妻、是安から警察……

当事者がそう感じていたり、周りが勝手に思っていたりと様々ですが次から次へと出てきます。

読んでいるうちに、ふと思ったのですが「裏切る」という行為や「裏切られた」という感情は、相手を信じていないと起こりえないものなんですよね。

それを強く感じたのが、出月と本並が対面するシーン。

かつて十朱のボディーガードとして一緒に死線をくぐり抜けた仲間との再会。

当然本並は皆を騙していた兼高を許さないし、本編で一番憎悪という感情を持って彼を殺したかった人間だと思っています。

でも、感情が昂ぶって出てきた言葉。

「兄貴、あの世であいつらに詫びろ」

深町秋生「天国の修羅たち」p246

ふいに出てきた言葉なんだろうけど、この「兄貴」にどれだけ泣かされたか。

泣きながら出月と対峙する本並を見ていると、彼はまだどこかで兼高のことを信じていたいと思う気持ちを持っているのだろうなあと思う。

それに対する出月の答えも、あれは真面目にそう思っての答えだった。

本並にも出月が本気でそう思っていると伝わっているから、表情と言葉がちぐはぐになるんだろうね。

「裏切った」「裏切られた」と言葉にするのは簡単だけど、その根底にあるのは相手への信頼だし、その中には当人たちにしか知り得ないそれまでのやりとりや思いがあるんだな、と考えさせられる。

そういえば、最後に出てきた大前田さんも兼高を始末しなければいけないと、自分に言い聞かせていたように感じたのよね。

最後のあの言葉がさあ……、兼高を憎みたいのに憎みきれない感がとても出ていて凄く切ない。

大前田さんと兼高はいうほど濃い絡みはなかったと思うけど、それでもここまで言わせてしまうって。

兼高は自分が思っている以上に東鞘会に気に入られていたし、彼自身も東鞘会のことかなり大切に思っていたよね。

今作を読んでいると、なんでこう、上手くいかないんだろうというようなもどかしさと切なさが押し寄せてくる。

真里亜は兼高になり得た存在であり、出月を救う存在だった

今回の主人公である神野真里亜。

女性が主人公なら少しマイルドになるのかな、と思ったけどそんなことはなかった。

割と腕っ節でのし上がってきた女の子でした。

彼女が警察になった理由を知ったとき、出月と重なる部分があった。

犯した罪をもみ消そうとした国木田と美濃部が大前田に拷問されているところを見て「いい気味」と思ってしまう真里亜。

罪人は正しく法で裁かせたいと願う警察官としての自分と、悪党は皆苦しめばいいと思う犯罪者を憎む個としての自分。

その境界線が曖昧になっていく姿に「地獄の犬たち」での出月/兼高の姿を見てしまった。

時や条件が違えば、真里亜は兼高になり得る存在だったのかもしれないと思ってしまう。

実は逆のことが出月にも言えて。

目の前にいる警察官としての職務を全うしている真里亜の場所には、本来なら自分もいるはずだった。

初対面で真里亜が述べた警察官としての模範解答に出月が怒ったのは、彼女に過去の自分を見ていたのかもしれないなあ、と思ってしまう。

「なぜ、俺はお前じゃなかったんだ」「俺も、同じ正義感を持っていたはずだった」

あのときの怒りは、真里亜への嫉妬と、物事を表面でしか捉えられていなかった自分への軽蔑が混じったもののように感じた。

そしてもう一つ、真里亜はきっと出月を救うための存在だったと思っています。

「煉獄の獅子たち」で阿内が言っていた「煉獄で火に焼かれて清められなければ神様の祝福を受けられない」という台詞を読んでから少しだけ調べました。

そもそも「天国」「地獄」「煉獄」はキリスト教ローマカトリックに関連する言葉らしいです。

その最後を締めくくる今作の主人公の名前が「神野真里亜」というのはとてもしっくりきている。

「神」(人々に救いを与える主イエス)と「マリア」(主イエスの母)が両方入っているのは凄くないですか?

これはもう、考えれば考えるほどそうとしか思えなくなっている私がいます。

「ずっと裁かれたかった。おれの旅もこれで終われる」

深町秋生「天国の修羅たち」p278

真里亜に手錠をかけられて、出月は初めて憑きものが落ちたような穏やかな笑顔を見せます。

出月が極秘ファイルを流出させたあの日、誰よりもこの瞬間を待ち望んでいたのは彼自身だったはず。

十朱も土岐も室岡も、そして阿内も罪深く、討たれることで裁かれた。次は出月の番だ。

深町秋生「地獄の犬たち」p550

おそらく、彼に手錠をかけるのは真里亜でなければならなかった。

自分と同じ信念を持った、誇り高き警察官である彼女でなければ。

出月が本当の意味で鎖から解き放たれた日

先ほどの感想と少しかぶってくる部分があるのですが、「地獄の犬たち」で「自分は最初から解き放たれていた」と言っていた出月が、本当の意味でそうなれたのは真里亜に手錠をかけられた瞬間だと思っています。

長い投獄生活、そして死刑判決を受けた出月ですが恐らく「投入」されて以降の人生で一番穏やかに過ごせているのではないでしょうか。

そして物語の終盤に真里亜に見せた絵、「宴」。

これが出月が描く理想郷なのだと思うと涙があふれた。

「天国の修羅たちはある人物の救いの物語になっている」と確か著者がおっしゃっていたような記憶があるのだけど……(別の人だったらすみません!)

恐らくこれは出月/兼高のことなんだろうけど、この絵を出すことによってこの世界に縛られてきた人たちが、皆しがらみから解き放たれて救われているような気がします。

実はこのシーンを読んだとき、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のエピローグが流れてきて。

それで、皆救われたんだなあという結論に至ったのです。

彼ら主の国で自由に生きる 鋤や鍬を取り 剣を捨てる

鎖は切れて みな救われる

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より『エピローグ』

ちなみに、この出月の絵にいる「桜の枝に座っている長身の男」、私は是安/十朱だと思っているのですがどうでしょうか?

これもそうだとしたら、うわあと思ってしまうんですが。

桜というのは警察の桜の代紋かなとは分かったのだけど、なんで枝に座ってるの?とずっと引っかかってて。

もしかして、森の王を示してる?その解釈でいいのかな?

今作が映画制作決定後に書き下ろされたのだとしたら、映画で出てきた「金枝」のことを指している?

十朱もなんだかんだ振り回されきた人だから、ここで両方を象徴する物があるのはぐっときますね。

他感じたこと

今出月としていられるのは室岡のおかげかもしれない

これは完全に私が思っているだけなんですが、「地獄の犬たち」のあと出月が出月としていられたのは実は室岡のおかげなのではないかな?

東鞘会に潜っていた頃の出月は、出月と兼高の境界線がなくなったごちゃごちゃした状態だった。

でも最後室岡と対峙したときに「出月なんてクソみたいな名前」「兼高昭吾のほうがいい」と言ってくれたから。

だから出月は兼高を切り離してここまで進んでこれたのだと思いたい。

長年相棒をしていた男の言葉ほど、影響を与えるものはないよね、きっと。

典子の愛情には泣かされる

なにげに、典子の登場に一番驚いているかもしれない。

「地獄の犬たち」から梧郎は息子みたいなものとずっと言っている彼女だけど、その愛が深くて本当に泣ける。

当時情報共有をしていた阿内はすでに死に、典子は痛みを分かち合える唯一の存在といってもよい。

典子がいなければ、逃亡生活中の出月は精神の方が先に参っていたかもしれない。

だって、自分が関わった人がほとんど命を落としていくのだもの。絶対に耐えられない。

出月を彼の望みまで導いた彼女は、出月に気づかれることなく命を落とす。

典子はヤクザをめちゃくちゃ恨んでいたし、時には命を奪ってきたけど、それ以上に彼女はずっと母親だった。

彼女の死顔が微笑んでいたのは、出月をここまで導けた安堵と、最期の瞬間、本当の息子とやっと再会できることの喜びを感じたからこそなのだと思います。

おわりに

ヘルドッグスシリーズがこれで完結したわけですけれども。

さ、寂しい!!!!

3作品とも読み終わった後の余韻が凄すぎてなかなか次の作品をひらけなくなるんですよね。

ぼーーーっとしながら、あの場面はこういうことかな?といろいろ自分勝手な考察を繰り広げてはため息が出てくるのループです。

拷問などで直接的なグロい描写は1作目だけだったように思うので、気になった方は是非3作全て読んでみてください。

それでは!

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