こんんちは、macaronです。
観劇記録や旅行記が立て込んでいて、久しぶりの読書感想になります。
今回は以前からずっと読みたいと思っていた逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」。
第二次世界大戦中のソ連で活動していた女性狙撃兵のお話です。
一人の少女の人生が戦争によって一転するところから、戦争終結後までが描かれています。
やはり「戦争」が舞台となると、途中で苦しくなったり、ページを捲るのが怖くなったりしますが、彼女たちの物語を最後まで見届けられてよかったと思いました。
それでは次からネタバレありの感想になります。
どうぞ!
登場人物&あらすじ
セラフィマ | 1924年生まれの少女。狩りの名手。愛称フィーマ |
ミハイル | セラフィマの幼なじみ |
イリーナ | 元狙撃兵。狙撃訓練学校教官長 |
シャルロッタ | 狙撃訓練学校生徒。モスクワ射撃大会優勝者 |
アヤ | 狙撃訓練学校生徒。カザフ人の猟師 |
ヤーナ | 狙撃訓練学校生徒。生徒の中では最年長 |
オリガ | 狙撃訓練学校生徒。ウクライナ出身のコサック |
ターニャ | 看護師 |
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。
「戦いたいか、死にたいか」ーそう問われた彼女は、イリーナが教官長を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために……。
同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。
おびただしい死の果てに、彼女が目にした”真の敵”とは?
「同志少女よ、敵を撃て」あらすじ
「錆びる」
「私はもう、国家だのの都合に振り回されるのはうんざりだ。自由になりたい。ソ連とか、近代化とか、社会主義とか、戦友愛だの軍隊だの、そういう観念からは、全て離れて」
逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」p134
「射撃の瞬間、自分は自由でいられる。軍隊だの、仲間だの。そういう観念は嫌なんだ。それは自分を、あの瞬間の純粋さから遠ざける。けれど一緒にいると、どうしてもそういう観念に染まってしまう。自分が変わってしまうのは、錆びるみたいで、とても嫌だ」
逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」p135
カザフスタン出身だったアヤは、セラフィマ達がイリーナのもとで訓練をしていた期間、最初から最後まで少女達の中で一番の実力者でした。
遊牧民族故に身体に染みついていた天才的なまでの感覚、感情に振り回されない精神。
セラフィマ達と距離を取っていた訓練中の彼女は、どんな境遇に置かれても生き残る人だなと思っていました。
でも、卒業試験に合格した後に見せた本当の彼女を知ってしまうと、あまりに純粋すぎて危ういとさえ感じてしまった。
もともとそうであったように、何にも縛られない自由な生活に戻りたい。
でもこうやって訓練を通して出会った仲間達と心を通わせて、一緒にいたいと願ってしまいそうな、情を持ってしまいそうな自分もいる。
一所に留まらないことを誇りとしていた自分との間に生まれてしまったギャップ。
その変化を感じ取って戸惑っていたアヤが、この現象につけたものが「錆びる」というという言葉だったのだと思っている。
変化は良い影響を与えることもあれば、悪い影響を及ぼすこともある。
変わっていることがわかっていても、自分ではどちらに転ぶのか分からない。変わるのは怖い、今までの自分を失ってしまいそうで。
ただ、この後の展開を読むと、「錆びる」という言葉を充てたのはとても皮肉だなとも思えてしまう私もいたんですよね。
何故かというと、アヤが跡形もなく消し飛んでしまったあの瞬間、確かに彼女は「錆びて」しまっていたように感じたのです。
あの強大な威力を持つ兵器を操縦しながら、彼女はその力が自由だと笑っていた。
合宿所でセラフィマに打ち明けたアヤが望む自由は、そんな形ではなかったはずなのに。アヤは自由を得るために力が欲しかったのであって、力こそが自由だとは思っていなかったのに。
恐らくこの瞬間が、アヤが本当に変化し、錆びてしまったときなのだと思えてならなかった。
結局アヤは、自然の中を駆けた自由ではなく、むしろそれとは真逆の人工的に創り出された科学の産物がもたらす自由に取り憑かれてしまった。
もちろん、これだけがアヤが死んでしまった原因だと言うことは出来ないです。
ただ、彼女があまりにも純粋すぎた故に狂ってしまった部分もあるのだろうな。
選ばないという選択
「ターニャ、あなたは敵味方の区別なく治療するの?」
「ああ。というよりも、治療をするための技術と治療をするという意志があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない。たとえヒトラーであっても治療するさ」
逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」p452
セラフィマ達女性狙撃兵と同行する中の一人にいた衛生兵のターニャ。
物語の最後の方に語られた彼女の話は、これをここで持ってくるのか、と正直衝撃を受けました。
狙撃兵となったセラフィマ達と同じ選択肢、つまり「戦うか死ぬか」の選択肢を実はターニャも投げかけられていて。
それでも彼女はそのどちらも選ばずに、自らの意志で皆を治療したいという選択肢を選び取った。
それは、主人公セラフィマがそう答えることすら思いつかなかった答え。
なぜこれに衝撃を受けたかというと、ターニャはもしかしたら、平和だったときにセラフィマが夢見ていた存在そのものだったのかもしれないな、という考えが頭を過ぎったからです。
本来、セラフィマが目指していたのは現状は敵国であるドイツとの友好の架け橋になることであって、彼らを「フリッツ」と罵り、彼らの死を数えることではなかった。
幼い頃に見た劇団の演目のように、今はたとえいがみ合う関係だったとしても、人間同士理解し合い、手を取り合える日が来る。
そしてセラフィマはその間を取り持つことに尽力したかった、本来ならば。
復讐に燃えるセラフィマがその道を捨てた一方で、同じ境遇だったターニャは、それでも自分の夢を捨てなかった。
誤解されないように言っておくと、これは、夢を諦めたセラフィマが愚かだと言いたいのではないです。
結局、そのときに正解なんて分からないものだし、セラフィマは狙撃兵として頭角を現わした。セラフィマはセラフィマの、ターニャはターニャの選択をした、ただそれだけのこと。
ただ……うーん。なんでしょう。
ターニャの語る「敵も味方もないおとぎ話のような世界」は、セラフィマの過去を思ったときに、未来に希望を見ていた彼女が夢見ていたものとして、確かにそこに存在していた彼女の世界でもあったのかと思うと、少し切なくはなってしまいますよね。
その他感想
・出番はそこまで多くなかったけれど、一番感情移入したのは実はマクシム隊長かもしれない。ずっとそばにいる人の変化こそ、一番気づかないといけないもので、一番気づくのが難しいもの。
・章の最初にドイツ側の視点を入れてくれているから、ドイツもまた悪でないことは分かる。そして、人間同士でなにをやっているんだというどうしようもない気持ちにもさせられる。
・シャルロッタについては、本当に純粋だったのか、それともそう振る舞っていたのか……
・ヤーナは本当に生きていて良かった。殺しが憎しみを連鎖させていくように、助けることが思いやりを連鎖させていくものだと信じたい。
・リュドミラは実在する人物なのね。
・イェーガーはセラフィマの復讐するべき相手だったけど、なんだか嫌いになりきれない。
・ミハイルとセラフィマ、その結末は予想外すぎた。
おわりに
ミハイルとセラフィマについてはチャプターを設けようと思ったのですが、書いていて苦しくなってきたので一言にとどめました。
彼女達が最後どういう結末を辿ったのか、是非読んでみてください。
それにしても、凄い小説でした。
陳腐な言葉だけれどそれしか出てきません。
最初はタイトルと表紙に惹かれて購入したのですが、タイトルが最後、とても重い意味を持って降りかかってきた、そんな感じです。
拷問シーンは少し「ひぇ……」となりましたが、事前にヘルドッグスを読んでいたのでなんとか耐えられました。
それでは。
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