もう一つのオペラ座の怪人の物語と言われる、ミュージカル「ファントム」。
過去の公演もずっと見に行きたいと思いながら予定が合わずに断念していたのですが、この度やっと観劇することが出来ました。
実はオペラ座の怪人自体を観劇したことがないので、どう違うか、どちらが好みかなどの判断は出来ないのですが、一つ言えるのはこの舞台が素晴らしかったということ。
たまらず翌週のチケットも取ってしまいました。
いつも通り、ネタバレありの感想になっております。まだ未見の方はご注意ください。
それでは、どうぞ!
登場人物
エリック | 加藤和樹/城田優 | パリ、オペラ座の地下に住むファントム |
クリスティーヌ・ダーエ | 真彩希帆/sara | オペラ座に憧れてパリへやってきた少女 |
フィリップ・シャンドン | 大野拓朗/城田優 | オペラ座のパトロン |
カルロッタ | 石田ニコル/皆本麻帆 | アランの妻、オペラ座の新プリマドンナ |
アラン・ショレ | 加治将樹 | オペラ座の新支配人 |
ゲラール・キャリエール | 岡田浩暉 | オペラ座の元支配人、エリックの父 |
ルドゥ警部 | 西郷豊 | パリ警察。ファントムの存在は信じていない |
ジャン・クロード | 中村翼 | オペラ座の舞台進行係 |
文化大臣 | 加藤将 | オペラ座支配人の任免権をもつ |
暖かさを知ることは幸福なのか
ずっと闇の中を生きてきた人間が人や世界の暖かさを知ってしまったとき、元いた環境に戻るのがどれだけ苦しいのだろうと考えてしまった一幕。
ずっとオペラ座の地下でオペラ座が抱える闇そのものとして生きてきたエリック。
クリスティーヌと出会い、自分の人生が変わったと思えたはずだったのに、それは一瞬にして砕かれる。
彼女と出逢えたから、彼女がオペラ座に主演として立ってくれるなら、このまま地下で暮らしていく人生でもいいと思ってた。
でもまた一人になるなら、希望なんて抱かない方がよかった。
光なんて知らない方がよかった。
孤独で惨め。それでもクリスティーヌという光に焦がれずにはいられない。
そんな相反する気持ちが伝わってくる「崩れゆく心」はとても切なくて苦しくて、そして何故か美しいと思えたのです。
エリックにとって「何かを諦める」という行為は、仕方がないと自分で納得出来てしまうほど日常的なものとして染みついているのだなと見せつけられた場面でした。
クリスティーヌやシャンドン伯爵たちは光側の人間で、どんなに頑張っても闇の中で生きてきた、そしてこれからもそこで生きていかなければならない自分は、そちら側へ行けない人間なのだと。
理解はしていても心の中で納得は出来ていない。
でもその納得出来ていないという気持ちすらもエリック自身はわかっていないのかもしれないですね。
だからこそ、「崩れゆく心」冒頭の「ねえ、どうして 涙が出るの?」が響く。
そしてまた、和樹さんはこういう報われない役がとても上手なのもあって本当に涙腺に響く。
正直、一幕は全然そんな気配を感じなかったのに「崩れゆく心」一曲で号泣してしまったのです……。
人との関わりを遮断されて生きていくということ
一応観劇前に少し情報は入れて行ったのですが、思った以上にエリックの引きこもりっぷりがすごくて驚きました。
ちょっとしたことで癇癪を起こしたり、話すときにドモりがちになったり、好きな物に対して早口になったり。
人と全く関わらずに生きていくと、きっとこうなるのだろうなあというリアルさがありました。
そして今回、人との関わりをずっと遮断されて生きてきたエリックを見て思ったことが二つ。
・今自分が抱いている感情に区別がつけられない
・湧き上がる衝動の捌き方がわからない
この二つ、連動しているようにも感じるんですが……。
後者に関してはカルロッタへの悪意の向け方、あの惨殺の仕方を見たときにとても恐怖しました。
そもそもカルロッタは嫌な奴だけど、あそこまでされないといけない人間には見えなかった。
エリックはカルロッタを刺すときに「クリスティーヌの苦しみを思い知るがいい!」と言っていたけれど、それは実際にクリスティーヌが言ったことではない。
ただ単に「自分が探し求めていた天使の声を持つ女性」を傷つけられたことに対するエリック自身の怒りだったと思うのです。
自分の行動を正当化するための理由が、この一言には込められているような気がして。
「私は今こう感じている」という事柄に対する細かい処理ができないから、溢れ出る衝動を捌ききれないとき、他者に理由を求めてしまうのかな。
一概に一括りにはできないだろうけど、現実世界でも衝動的に惨い事件が起こってしまうことがあるの、感情の制御ができていないのかもしれないなあと思ってしまうことはあります。
もう一つ、前者についてずっと考えていたのは、エリックのクリスティーヌに対する感情はなんだったのだろうということ。
観劇前は恋愛ものと思い込んでいたのだけど、もっとこう複雑な……うーん、言葉にするのは難しいな。
自分だけを見て欲しいと思う恋人に向ける愛、自分を深く包み込んでくれるような母親の愛、自分に光をもたらしてくれた憧憬の対象、友愛……。
考えれば考えるほどきりがない!!!
エリック本人にも区別はついていないのだと思うんですよね。
ピクニックのシーンでクリスティーヌに自分の腕に掴まるようにしていた動作は、少年が少し自我を持ち始めた頃の女性をリードしようという気持ちの表れのように感じる。
崩れゆく心で見せた涙は、クリスティーヌが唯一の笑顔を向けるのは自分ではないと知って傷ついた恋情かもしれない。
「ボクは君の……友達……」「これで君と僕は本当の意味で友達になれる」
この台詞の意味を凄く探していて。もしかして喜びや悲しみを共有できる友達になりたかったのか、とも思えてくる。
2回目を見て何か掴めたらいいなあ。
……ここまで書いてきたけど、本当はそんな区別なんてどうでも良くて、
「You are music 貴方こそ 私の人生」
この一言に全て集約されているのかもしれないなあと、1週間たった今感じ始めています。
初めて親子として向かい合うふたり
キャリエールとエリック、やばくないですか?
先ほど、「崩れゆく心」で号泣したと書いたのですが、この二人の「君は私の全て」もびっくりするくらい泣いた。
正直に言うと、カルロッタの惨殺シーンを見ているだけにエリックが単に純粋な人間だと思うことも出来ないのですが、それでもどうしてかこの親子の場面を美しいと思ってしまうし感情移入してしまう。
思い返してみれば、冒頭エリックがキャリエールに対して当たり散らしていたのも、もしかして甘えていたのだろうか?
わかりにくすぎるけど、ああやって反抗的な態度を取っていたのも実の父親だと気づいていたからなのだろうか?
キャリエールがエリックに父親だと打ち明けて、ようやく親子として接するようになれた二人を見て本当に良かったと思う。
「君は私の全て」の合間の二人の会話、「貴方はどう思ったの?我が子の顔」あたりからのやりとりが、ぎこちなくもお互い歩み寄ろうとしているように感じられて、思い出すだけで涙がこみ上げてしまう。
和解からのエリックが初めて素直に父親に甘えたこと、願ったことが「貴方の手で私を殺して」なのが辛い。
でもそれが二人のけじめのつけ方だったのも理解できる。
この場面、曲もそうなんですけど、警察部隊に追い詰められたエリックが叫んだ「ゲラール!助けてよ……約束したでしょ!!!!」が本当にダメで……。
とても苦しいシーンなのに、ちゃんと甘えられてよかったね、と幸せな気持ちにもなってしまう。
余談ですが、「貴方こそ、私の光、私の人生」と母親に、「君は私の人生の全て」と父親に思われていたエリック。
あなたは、ちゃんと愛されていたよ。
おわりに
内容とは全然関係ないのですが、あの注意喚起の仕方、とても良いと思いました。
時代背景を壊さずに、楽しそうにやっているの。
「持ち運び電話機」ね、思わず笑ってしまうよあれはw
それはいったん置いておいて、まさかここまでのめり込んでしまうとは思いませんでした、ファントム。
劇団四季が上演している本家、オペラ座の怪人を見たことがないので、またそちらも見ねばと思ってはいるのですが、どんな感想を抱くのか……。
とにかく、次の大阪前楽を見てまた理解を深められたらいいなあと思います。
1階席なので客席のシーンも楽しんできます!
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