人生に迷ったとき、もし「あなたのための一冊」と出会える本屋があるとしたら、立ち寄ってみたいと思いませんか。
普段は通らないような小径の奥にある本屋。
もしかしたら本当にどうしようもなく生き詰まったときに、現れてくれるのかもしれません。
江戸から明治へ。
激しく変化していく時代の中でも、本は変わらずただそこにある。
初めて読む京極夏彦さんの作品の感想です。
それでは、どうぞ。
あらすじ&登場人物
登場人物
| 弔堂主人 | 東京郊外で古本屋「書楼弔堂」を営む。元僧侶。 |
| 撓(しほる) | 弔堂の丁稚。 |
| 高遠彬 | 今作の語り手。自称無為な男。 |
あらすじ
明治二十年代の半ば。雑木林と荒れ地ばかりの東京の外れで日々無為に過ごしていた高遠は、異様な書舗と巡りあう。
単行本あらすじより
本は墓のようなものだという主人が営む店の名は、書楼弔堂。
古今東西の書物が集められたその店を、最後の浮世絵師月岡芳年や書生時代の泉鏡花など、迷える者たちが己のための一冊を求め〈探書〉に訪れる。
変わりゆく時代の相克の中で本と人の繋がりを編み直す新シリーズ第一弾!
発心(泉鏡花)|目的は辿り着く場所ではなく、進む道そのもの
「ええ。この世に無駄なことなどございません。世を無駄にする愚か者が居るだけでございます」
京極夏彦「書楼弔堂 破曉」p161
この一文を読んだとき、しばらくページがめくれなかった。
これは、近代化している日本において怪異は無駄なものとして嫌われている、という文脈で使われているのですが。
私の思考は別のところへ飛んでおりました。
効率化、タイムパフォーマンス……そういう言葉が、実はあまり得意ではない。
もちろん、作業をしている中で「短縮できないかな?」「もっと上手く進められないかな?」と思うことはある。
AIに頼ることだってたくさんある。
けれど、最近の「無駄を省いて効率化重視!」というのには違和感があって。
あれもこれも無駄と捨てていった先に人間の……私の心はどこにいくんだろうって、たまに考える。
時代について来られていないだけでは?と言われてしまうと、その通りだと頷くしかない。
じゃあ電気や携帯、パソコンも駄目だね?と言われるとそこは頼り切ってしまっている自分がいる。
それでも私は、切り捨てられている無駄こそが人間の豊かさなのだと信じていたい。
友人と対面で何時間もお話して、意味のない会話で笑い合ったり。
ノートに手書きで読書や舞台の感想を書くことだったり。
旅先で景色を見てただぼーっとする時間だったり。
あら?私の趣味たち、無駄で非効率なことだらけだな笑
目まぐるしいスピードで変化していく現代社会の中で、ぐっと立ち止まる瞬間も確保していきたい。
近代化を進め、がらっと変化した明治時代と、毎日何かが変わっている令和は実は似ているのかもしれないですね。
効率化も大事だけれど、空いた時間をまた作業や仕事に充てるのなら、何のための効率化なのだろう、と思う。
省けるところは省きつつ、時間をかけたいと思っていることは手放さないようにしたい。
そしてもう一つ。
「いいえ。常に到着していると云うことです。修行は目的のための手段ではなく、手段である修行こそが目的と云う意味でございます」
京極夏彦「書楼弔堂 破曉」p171
資本主義社会では結果が重視されるのかもしれないけれど、過程も大切だと忘れないでいたい。
ドキュメンタリーとか、登場人物がどんどん成長していく漫画が好きなのって、多分そういうことなのかな、と。
さて、泉鏡花はどこかのタイミングで読んでみようと思います。
贖罪(岡田以蔵)|信念を預ける場所
「天誅と云うのは、本来は天ー神仏の如く人を超えた者に代わって誅伐を下すと云う意味です。これは、体の好い責任逃れですよ。自分の犯した罪、これから犯す罪を天の所為にしているだけーでございます。それでは」
京極夏彦「書楼弔堂 破曉」p333
天とは何ですかと主は男に問うた。
誅伐とは「罪のある者を攻め討つこと」らしいです。(コトバンクより)
ここで言う「罪」は何に対しての・誰に対しての罪で、誰がそれを決めているのだろうか?
日本では主に江戸時代末期に「天誅」が使われていたようですが、確かに、幕末はそれぞれの正義がたくさん存在していた時代だなという認識です。
自分たちの正義を貫くために、異なる正義を罪として断罪し、それが天の意向であると責任を投げつける言葉……。
そういう言葉の捉え方をしたことがなかったので、正直今までの概念をひっくり返された気分になっているのですが、腑に落ちる感覚もすごくあって。
なんだろう……自分の信念を正当化してしまっているということかな。
正当化しているのは良いのだけど、それによって人を殺すことさえも正当化して責任を取らない。
余りにも身勝手だとは思いつつ、最近、自責とか他責という言葉をよく聞く身としてはぐさっとくる。
多分ですけど、私自身、信念があるように見えて、実は自分の判断を他人に預けてしまっている部分があるのかもしれない。
だから人の言葉に寄りかかりたくなってしまうし、都合が悪くなったら「この人が言っていたから」と出てきてしまうことがある。(書いていて苦しすぎる……笑)
変化していく時代だからこそ、自分の考えで信念を持たなければならないし、心の中に軸を1本通しておかないといけないな、と背筋が伸びる気持ちでした。
そう言えば。
何を信じるかについては、こことは別の井上圓了の章にも刺さる言葉があって。
「信ずるものが正しいと云うのじゃあいかんのだよ高遠君。正しいものを信じなければいかんのだ。」
京極夏彦「書楼弔堂 破曉」p213
自分が信じているものを疑いたくない。
でもきっと皆がそれをしたら、行くところまで行くとやはり血が流れる結果になりそうだな、と思う。
同じものを信じている者同士は結束が強く、他を信じる者を排斥することに繋がってしまうこともある。
寛容さや余裕を失い、自身が信じるもの以外はすべて間違いと考えるようになってしまうのかな。
正しいものを信じるのは、複雑化した今の世界ではきっと難しい。
だから、少しでも全員にとって良い道を進んでいけるような、配慮の心を持っていたいと思うよ。
未完(高遠彬)|永遠であるということ
「終わらないのですか」
京極夏彦「書楼弔堂 破曉」p534
「ええ。終わりません。終わる意味がなくなってしまったと云うべきでしょうか」
素晴らしいでしょうと云って、主は両手を広げた。
「未完と云うのは終わらないと云うこと。つまり永遠と云うことです」
私の推しているアイドルに、すごく綺麗に完成させて永遠となった人たちがいて、あ、V6っていうんですけど。
その彼らを見てきているので、「完結=永遠」という印象が強烈に焼き付いていて。
でもそうか~……うん。
確かに、終わらないことが永遠、という認識が一般的なのかもしれません。
実はこの章に出てくる高遠さんだけは史実の人ではなく、各章の人達を弔堂に連れて行く案内役のような登場人物となっています。
病の療養のため仕事を辞め、かといって妻子が待つ家へ帰るわけでもなく一人で借家暮らしをしている。
そして章が進むにつれ、世間の役に立っていない自分は無為な存在だと鬱々とするようになり、だけど先のことを決める強さもない。
私は、そんな彼がすごく人間らしくて好きだったりします。
もしかしたら、最近私自身もぐるぐると悩んでいたことがあったので、重ね合わせてしまったのかもしれません。
社会と自分との関係で複雑なことまであれこれ悩むのは、人間だけじゃないのかなと思います。(動物も悩んでいるなら、すみません……)
すぐに決められたらいいのだけれど、色んなしがらみの中で先延ばしにしてしまうことも沢山ある。
そんな自分を責めてしまうことも多いですが、「白黒、決着を急がなくてもいい」という一文を読んで、なんだか少し気が楽になりました。
私は、振り返ったときに「生ききった!」と思えるような人生にしたい、とかなりぼんやりした目標がある。
だけど、「生ききる」と「生き急ぐ」は違うのかもしれない、と今回思うことができた……かな。
悩みに悩んだ時間だって、後から見れば生きた証になるのかもしれないですね。
その他の感想
・全体的に説教臭い感じもするけれど、私はこの感じ大好きでした。
・最後に陰陽師のお話が出てきて、テンション爆上がりでした。そう言えば陰陽師も蘆屋道満のスピンオフ出てましたよね?……買わねば。
・素敵な言葉が多いので付箋を貼る手が止まらなかったな。
・鰻に関しての熱量が凄いシーンがあって。よく分からないけど、そこがとても好きでした。
・読んでいて、ふと「迷うのが人間です。だからこそ、崇高でありたいと望む」という台詞が出てきた。
・なんだっけ~~?と思って調べたら漫画「犬夜叉」に登場する桔梗の台詞でした。
・私が、迷いながらも進んで行く人が好きなの、絶対ここから来てますね。
おわりに
536ページとすごく長いお話しだったのですが、面白すぎて一気に駆け抜けてしまった。
なのですが、まだ破曉(夜明け)です。
このシリーズは既に完結しているらしく、この後は炎昼(昼)→待宵(夕暮れ)→霜夜(夜)と続きます。
実は炎昼の前に待宵の文庫本を購入してしまったので、炎昼を見つけるまではしばらくお預けです。
次はどんな言葉や本に出会えるのか、楽しみだなあ。
それでは!

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